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リトル・ミス・サンシャイン

ずっとずっと昔、まだ子供の頃だ。
ロードムービーという言葉ももちろん知らない頃のこと。
子ども会か小学校の映画会で見た映画。
おそらく文部省推薦か何かの教育的な映画の一環だったと思う。
多分間違っていなければ、「家族」という題名の映画。
(あ、こういう記憶が不確かな時にググレばいいんだ)


一家が北海道に一家転住。その間にじーちゃんが亡くなってしまう。
そんなストーリーだった。幸せを探して、仕事と住める場所を求めて、
新規巻き直しの旅のはずだったのに、悲喜こもごもどころか、
「悲」ばかりじゃないか、そんな印象が残っている。
調べてみると、じーちゃんばかりではなく赤ちゃんまでなくなっている。
赤ん坊の記憶は抜け落ちていたが、「リトル・ミス・サンシャイン」でも、
圧倒的な存在感を持つじーちゃんが、孫の晴れ舞台を見ることもなく、
亡くなってしまうので、連想して思い出したようだ。


そう、この映画の一家はどうしようもなく滅茶苦茶だった。
「勝ち組」を夢見ながら詰めの甘い夢想家で起業家の親父。
「隠居」のはずが麻薬中毒で老人ホームを追い出された祖父。
パイロット」を夢見てニーチェを愛読し、無言の行を続ける兄。
ゲイで文学者で失恋・失業した自殺未遂の叔父。
そんな弟を家に引き取り、バラバラな家族の中で必死の母親。
何故か美人コンテスト優勝を夢見ている無邪気な小学生。


どう見てもいびつで問題だらけの家族の中で、一致していること。
末っ子の娘、孫娘、妹、姪っ子の為にコンテスト会場へ向かうこと。
その間に起こる問題は、人ばかりではなくエンジンの掛からない車、
トラブル続きで予定時刻に間に合わない受付、
周囲との格差がありすぎる中で、祖父が孫娘のダンスに振付けたのは、
どう見てもいかがわしいダンサーのセクシュアルなしぐさ。


どこに救いがあるのか分からないけれど、どうやらこの娘っ子、
家族全員の聖域、サンクチュアリと化している感じ。
でも、父親がビジネスに失敗し、母親が愛想を尽かして離婚を切り出し、
色弱が発覚してパイロットの夢を立たれた兄と、
ヤクでこの世とおさらばした祖父と、
ゲイとしても失恋、学者としてもライバルに負け、
失意のどん底に輪を掛けて、コンテストで毅然として
徹底的に「負け」「駄目だし」を食らっていく7歳のオリーブの
たくましさが一番印象的。


余りに強烈なハチャメチャで、上手く言えないけれど、
そう、かつての日本映画『家族』の中で味わった「家族の死」や、
生きることの切ない湿っぽさを思い出させるのだけれど、
日本と違って何処かアメリカ、やっぱり欧米なのは、
夫婦のありようや力関係、同性愛、空軍のパイロットへの憧れ、
いたいけな子供の美人コンテスト(これは、アメリカで問題になった
美少女というよりも幼女の誘拐殺人事件を連想させた)、
行き過ぎの感のある歪んだ大人社会と振り回されている子供や親、
ヘロイン中毒などが盛り込まれているせいだけだろうか。


たしか『家族』の映画の頃、『ママは太陽』というドラマもあった。
この『リトル・ミス・サンシャイン』、7歳のオリーブの存在、
確かに「小さな太陽」は家族を照らしている。
それは彼女にとっては重荷ではないのか、当たり前のことなのか、
子供らしい無邪気さが、結局予定調和を招くことになるのか。
多くの賞を取り、アカデミー賞脚本賞をとっているこの作品、
見て良かったとは思うが、何とはなく居心地が悪い。


我が家もこれに似たり寄ったりなのか、
「子は鎹(かすがい)」の老人・親・子供の三世代。
一台のバスに乗る家族、行ったり来たり矢治郎兵衛のように、
揺れ動きながら様々なペルソナととっかえひっかえ、
こんな生活の中で、娘は何をつかんで成長するのか、
どんどん家族全体やさぐれて行くような、そんな気がして。
いい映画を観たと思うのに、気持ちは晴れない。
希望の種はあるように思えるのに、蒔いて育てる自信が持てない、
そんな映画を本日のBSで見てしまった。

リトル・ミス・サンシャイン (名作映画完全セリフ集―スクリーンプレイ・シリーズ)

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