Festina Lente2

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ハリポタの余韻 

相変わらず風邪気味。
昨日、市内まで出て行くのがしんどくて勉強会をサボってしまった。
人ごみの中を都会まで行く気にはなれない。
丁度1週間前、滅多に休まない同僚が3日間もダウンした。
熱が下がらないという。みんなでインフルエンザを警戒したが、
幸い、どうやらそうではなかったのこと。
でも、この時期ダウンするのは明らかにオーバーワークのせいだ。
と思っていたら、何のことはない。自分も週末にダウンしてしまった。
毎日2時間以上の残業が続くと、さすがに家の中のことも滞る。
苛々も増える。そのせいか。


この左下の胃から腸にかけて、常に憩室炎を警戒しているこの辺り、
痛みがひどくなってくると、心配でならない。
これが脈打つように痛み始めたら、点滴それ以上の治療でないと。
飲み薬で散らせない。そんな不安がよぎる。
ただの胃腸に来る風邪、だったら別にどうということもないのだが。


今日はかろうじて午前中は娘の音楽部の活動、御披露目があったので、
家人と二人で鑑賞しに出向く。
予想外の、それ以外の抱き合わせの企画もあったので、
しんどいと思いながらも途中退出できず。
それにしても、5年生6年生ともなると表情が違う。
歌っている口の開け方もなかなかかよろしいと、
親馬鹿は自分の子供ばかりカメラで追ってしまうのだが、
それなりに子供たちは大人びてきていて、はっとさせられる。


今日も今日とて、ハリポタ。金土日ハリポタ漬け
世間の、業界の戦略にはまってい「ハリポタ」一色の週末。
金曜日にはTVで『不死鳥の騎士団』
土曜は「死の秘宝 part1」(ネタばれ禁止)を見てきた。
今日はTVでまたまた『秘密の部屋』。
何とも子供子供した主人公達がかわいい。
家人もこの頃が一番よかったなあと呟く。
子育ての楽しい時期が過ぎて、色々ぶつかるだけに、
娘が幼かった頃の記憶と重なる『賢者の石』『秘密の部屋』の頃。


娘本人は『アズカバンの囚人』も結構お気に入り。
あの頃はハリポタの2次作品の「夢物語」全盛期、
色んな話が百花繚乱で読めて、インターネット時代の楽しさを知った頃。
しかし、この作品が『死の秘宝』まで発表されてしまうと、
結末がわからなかった頃と異なりイメージが固定されて、
なかなか2次作品の夢物語も難しいだろうし、当時の書き手たちも大人になって、
それなりに幼い自分の夢想する夢物語に浸っている暇も無い現実に揉まれて、
全く別の世界を覗き見ているだろうと、人ごとながら考えたりする。

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ハリー・ポッターと賢者の石 ― オリジナル・サウンドトラック

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7巻分の物語も登場人物も多いし、人間関係が絡み合っているから、
なかなかにおどろおどろしくなってきた。
魔法界とて戦争は戦争、戦いは血で血を洗う世界。
今までのキャラクターが最終でどうなるか・・・、みもの。
他人のイマジネーションで創り上げられたビジュアルな世界には、
浸りきれないものも多いけれど、こういう葛藤は致し方ない。
されどこういう世界にほんの少し、いや随分浸っている気がする。
そういう意味では、物語から派生する「別世界」の力は偉大・・・。


この10年ハリポタ一色で塗りつぶされた思春期を送った、
ハーマイオニー役、エマ・ワトソンが、ばっさり髪を切って
ショートヘアでTV番組に出ていたのが印象的だった。
さて、『秘密の部屋』では「蛇語」を操るハリー。
今回の映画でも「蛇語」が話されている。


それにしても、「謎の部屋」の時は怖いよーと見るのを嫌がっていた娘も、
もう小学5年生。手足の大きさは私とあまり変わらない。
ハリポタの主人公達も成長して、それぞれ・・・。
ハーマイオニー役の女の子以外、余りかわいくない青少年になってしまった。


子どもの頃のあの眩しいようなかわいらしさ、
きらきらした眩しいような清純さ、そういうものが失われて、
思春期を経て変化していく、その一番大事な時期、11歳から18歳まで。
主人公達も映画の中での生活と、自分自身との成長をリンクさせながら、
大変だったろうなと、他人事ながらあれこれ想像。


子供の時に努力しなくても天性として与えられていた、かわいらしさ、
無邪気な笑顔、それは単純に「親の活力の源」だった。
いまや娘はふくれっ面はしょっちゅう、
やや愁いを帯びた表情を垣間見せるようにもなり、
それはそれで、成長したことの証なのだろうけれど、
親としては心もとなく、侘しく寂しい。
しかし、物語の主人公ハリーの親は赤ん坊の成長を見ることなく亡くなり、
思春期の子どもを持つ親としてのジレンマを抱えることなく、
永遠に『失われた親』として息子に慕われ続けている。


子供の成長=親の成長というわけには行かない。
親として学び、親として改めて知ることも多く、
大人と親とは違うのだと、しみじみさせられることが増えてきた昨今。
そんな事を思いながら、絶対的な悪の独裁、魔女が行う魔女狩り
棲み分けどころか、自分たちと異なるものを排斥し、迫害する世界。
魔法の世界、ダークファンタジーの世界の脱出劇、犠牲、死、結婚、
ひたすらさ迷い歩く逃避行の世界に見入る。


成長した背景には避けられない物語。
常に時間軸から見た成熟は、死と隣り合わせという鉄則があるため、
単なる子供のための成長物語というよりも、生と死、
単なる勧善懲悪ではなく、揺れ動く心の世界、世の中の倫理、
一筋縄ではいかない世界そのものをを描こうとしているから、
どうしても暗い展開になったのだろう。


毎日が現実。当たり前のこと。
ハリポタの世界に憧れる子供、世界中の子供たち。
同じ物語を映像でインプットされた子供たち。
将来、子供たちが成長してどんな世界を作るのか。
その頃、私たちいなくなってしまった後で。
そんなことさえも、ちらりと考えたりしてみる今日。
娘の成長とハリポタの子役たちの成長を、
何とはなしに重ね合わせてあれこれと物思う今日。

ハリー・ポッターと秘密の部屋

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ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

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