Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

根管治療は終盤

私のブリッジ治療のための土台となる歯の根管治療は終盤。
奥歯に近い歯の根っこは顎側と頬側に分かれているらしいが、
どうやら状態がよろしくない。
治療を始めた時点で出血が見つかり、ずっと心配していた。
大体神経を抜いているはずの歯が、根管治療用の針が入っていくと
痛むということ自体おかしかった。


どうやら、歯の根っこに穴が開いているらしい。
しかし、これが二つに分かれている歯根の治療中に
誤って開いたものなのか、別の理由で開いたものなのか、
全く私には知りようがない。説明がないからだ。
穴が開いている、出血は減ってきた。
そういう現時点での状態の説明しかない。
穴が開いている部分から先は薬を入れることが出来ない、
穴を埋めることが出来るという説明もない。



先生ははっきり言わないが、この歯は早晩駄目になるのだろう。
何が原因で穴が開いているのか、その説明はいまだない。
虫が食ったのか、歯周病なのか、鶏が先か卵が先か。
でも、今は原因探しが問題なのではない。
開けられてしまったのか、開いてしまったのか、
もうきちんと説明してくださいと言った所で無駄だ。


ブリッジをやり直すために再度根管治療が必要と言われて
施したこの歯が、削られた挙句歯質は落ちている、
壁が薄いの出血しているのどうのと言われても、
掘り返されてしまった以上、何が出来るというのだろう。
治療が終わるのを待つことしか出来ない。
この歯が再びブリッジの土台になるかどうか、
食べる・しゃべる、噛む・話す、その機能が成り立つのか。
美的外観を保つ治療が可能なのかどうか、
それを祈るような気持ちで期待するしかないのだ。

よくわかる顎口腔機能 咀嚼・嚥下・発音を診査・診断する

よくわかる顎口腔機能 咀嚼・嚥下・発音を診査・診断する

オール・オン・フォー ―進化したインプラント治療

オール・オン・フォー ―進化したインプラント治療


残されている歯が、どれくらい持つか、医師は決して明言しない。
責任範囲内において不用意な発言は、自分の首を絞める。
予想を下回った場合、患者からのクレームになりかねないので、
人それぞれという言い方をする。
成績懇談や進路相談で、合格するかしないか、
それは水ものだから運次第、体の調子がよければ、
得意なところが出題されればというのに、よく似ている。


本人の歯の質そのものが良ければ、
体の調子が、本人の健康状態が良好ならば、
免疫力が高ければ、いい方向に向かう確率が高いですよね。
こんな感じのものの言い方になる。
オブラートで言いくるめられた感じの。
どのような言い方をしてもされても、結果は同じ。
本人に拠る。医療そのものや治療結果に頼るのではなく、
自分自身に全ての結果を引き受けさせる会話手法が、臨床の場では主流だ。


治すのはあなたです。
病気は怪我は体調は、自分自身の心の持ちよう、
普段からのお手入れの仕方、服薬、体調管理、歯磨きの仕方、
ストレスが掛からない様に生活する方法、物事の受け止め方、
認知の仕方、どのような表現を取るにしろ、
医師の処方・処置、医療そのものに原因を求められることがないよう、
周到に会話の訓練を積んで、診療・診察のの現場に出ている、
やたらそう感じることが増えてきた。


どちらにしろ、定年まで私の歯は持たないのかもしれない。
むしろ弱っている歯を持たせるために、形骸化した残骸としかいいようのない、
歯の形状を僅かに残しているものを、患者が納得するまで治療するという姿勢を、
医師の側の誠意の形として表すことで、患者を安心させ、
精神状態を安定させ、生活の質を向上させる。
それがQOLの維持への近道であるという素地のもとに、
「治療」が行われているのかも知れない。


私自身は頬の内部、鼻の付け根に感じていた違和感、
痛みが無くなり、丁寧な治療を行って貰っていることに、
感謝の気持ちは抱いている。(不信が全く消えたわけではない)
歯根に穴が開いていることが何を意味しているか、
ネットの世界でも、あちらこちらに書かれていることだから。


狭い術野の中で、一回一回の診察・診療に、
その治療内容に一喜一憂する患者、
そんな患者の取り扱いに気を遣いながら、
一挙手一投足を見られていることを、
あれこれ色々感じ取られていることを意識しながら、
治療を行わなければならない医師の側の気持ちも
分からないではないのだから。


医師の言葉以前に治療内容は痛いか痛くないか、
不快か不快ではないか、
そういう生理的な反応が、どの程度の苦痛を与えるかで判断される。
精神的な不安定さは、痛みによって促進され左右される。
その痛みや不安を和らげるのは、医師の言葉掛けであり、
治療後の痛みに対する処し方、考えられる可能性の説明だ。
不安を取り除けば、予想される痛みの説明さえ受けていれば、
慌てふためき慄かずに済む。


食べられない、飲まれない。
痛みがいつまで続くか分からない。
そんな不安さえなければ、自然と気持ちは落ち着くものだ。
その基本ラインが、ごくごく当たり前のことが、
実は一番難しい、生活維持の中での最初で最後。
快不快の基本基部を為す事柄だ。
いつまでこの病院に通えばいいのだろう。
しかし、診て貰えるという安心感があるからこそ、
そん信頼関係が、根気強く治療を続けようという気力にも繋がる。
患者というのはそういうものだ。


駄目だ、見て貰えない、見通しが立たない、
先生の言葉が分からない、馬鹿にされているようだ、
そんな風に感じると、途端に心も体も朽ちていくように感じる。
相手が意図する意図しないに関わらず、
そのように受け取ってしまえば、
感じてしまえば何もかもが崩れていってしまう。


認知の問題か誤解なのか、理解力不足なのか。
乱暴な医師は、忍耐力のない我がままな患者というレッテルを貼って、
もしくは不安感の強い情緒不安定な患者というまなざしで、
たらし回しにすることも出来ず、扱わざるを得ない存在として、
「扱う」のだろう。


患者の側には知識も見通しもなくて当たり前なのに、
一度説明しても何故分からないのかという顔をされると、
絶望感が募る。不安は毎回あり、いつもあり、
不安を打ち消し治療を続けるためには、毎回後押しが必要だ。
それが、もっとも弱った部分をさらけ出しても大丈夫なはずの現場であり、
ニコニコ勇気凛々絶好調で受診しに来る方がどうかしている、と思う。
少なくとも私にとっては・・・。


多少とも無理して生活している皺寄せになっている部分を、
その最も弱った歯や目、胃腸や、足腰や、その他の部分に、
申し訳ないと思いつつ、どうにかしてこの凸凹の不調をならしたい、
平らにしたいと思って生活している。
歯は見える臓器、見える内臓なのだ。
そのことを知っているからこそ、歯を残したい、
自分の歯を大切にしたいと思っている。
磨いても磨いても、駄目になる歯に、一体どうしろというのか、
出口の見えないトンネルのような歯科治療を、
させられている側は患者なのか医師なのか、
そんなことを考えながら霜月つごもりの今日。


娘にだけは歯と目の苦労、健康の苦労、
あちらこちらに通院する苦労を味あわせたくない。

歯根破折―臨床的対応

歯根破折―臨床的対応

歯根膜による再生治療インプラントを考える前に

歯根膜による再生治療インプラントを考える前に