Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

野々宮神社から大河内山荘へ

昨夜飲み会の翌日。家人と京都へ。
紅葉も散った後なので、休日とはいえ客足は少ない。
桂川の上に掛かる渡月橋も寒々としている。
川べりには何故だかかもめに餌をやる人が。

     
  


嵐山でおばんざいランチ。
豪華に湯豆腐を張り込みたかったけれど、節約。


竹林の中は、自然のヒーリングミュージックが流れているよう。
そのざわめきと薄緑に翳った小道を歩きながら、
タイムトリップしたような気持ちになる野宮神社辺り。

              
   

黒木の鳥居は古代の神社の形式を残すものだが、
樹皮が付いたままの大木を見つけることが難しく、
徳島県剣山から運ばれたものを樹脂加工して使っている。
現在の現代の鳥居は自然環境を反映していると言えよう。
古来斎宮負わす神聖な場所、今や縁結びの神様を祭る地は、
デートスポットなのか若い二人連れが目立つ。


   
   

   


竹林の向こうから聞こえる汽笛。
そう、トロッコ列車が通っている。
普通の電車と響きが異なるので、それと分かる。
源氏物語検定なるものが宣伝されている野宮神社から
今日のそぞろ歩きの本命、大河内伝次郎の別荘へ。

   

   


大河内山荘も下界同様、残り紅葉も無く、閑散としていた。
その寂寥の中をまるで夫婦で借り切ったような世界。
お茶券が付いて、抹茶とお菓子のサービス付きで1000円。
緋毛氈と群青の毛氈(こんなの初めて見た)が交互に並ぶ。
天気はあいにく曇り空。せっかくの庭がぼやけた感じ。
散り敷く紅葉も掃除が済んでいるのか見当たらず、
散り残しもなく、色味乏しいさばさばとした庭の風情。

      

   


広大な庭園、小山一つが全て庭という、いや、
庭というよりも、山全体が手入れをされた庭と化している。
中腹辺りで景色を眺めていたら僅かに小雨がぱらついた。
見ると向こうにうっすらと虹がかかって見える。
余りに寂しい景色なので天が絵心を加えてくれたのか。

   

   


造化の妙という言葉があるが、この人為的な自然、
借景どころか全山手入れをしたとしか言いようの無い、
点在する茶室やお堂。板碑の仏、手水、展望台、
工夫した色石を散りばめた散策路、樹木。
そして、何年ぶりというのだろう、蓑虫を見つけた。

   

   


太秦の映画村から馬を飛ばして駆けつけ、
山荘の建築に係わって30年、その情熱はどこから?
映画の出演料を注ぎ込んで、この広大な別荘を創り上げた。
私の父が生まれた年から庭造りと建設が始まり、
家人が生まれた年に伝次郎は亡くなり、
そして、干支が4つ巡って年の瀬。

    

    



大河内伝次郎の名前は知っていても、自分にとっては昔の人、
具体的にその作品を楽しんだわけではない。
邦画の話題、昔の映画の話題で覚えただけのその人の生き様が、
映画からではなく、この冬景色の庭園から伝わってくる。


庭師と石を組み、土を盛り、木々を植えながら30年間。
春夏秋冬の時の流れを何に見出していたのだろうか。
何に置き換えていたのだろうか。
沢山の人生を役柄を作り物の世界の世界に投影し、
大スターと仰がれた生活のエネルギーの半分は、
この山荘の建設にあったのだと思うと、何とも不思議な気がする。
時間も費用もエネルギーも並々ではない凄まじさが、
凛とした空気の中を漂っているような。

   

    


余り調子のよくない足で歩いて来たが、来て良かった。
そしていつか、春や夏の、そして紅葉の頃を、
その春夏秋冬の季節の美しさを見に来よう。
初めて見た景色が冬なのだから、後はどれ程美しかろう。


大河内伝次郎その人は、恵まれた大スターの座にあって、
何を思い何を見出しに、この庭に、この山に来ていたのだろう。
広大すぎる箱庭を創るために。
そんなことを思いながら再び下って山荘を去る。

資料が語る丹下左膳の映画史―大河内伝次郎から豊川悦司まで

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