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繋がらないクリスマス

機械が古いんだよ、買い替えなよと笑われている。
このノートPCは何だかんだと修理しながら持ちこたえて来た。

まだ少し元気でパソコン教室に通った母のために、
老父が奮発して買ったのだが、結局母は使うどころか、
お金も外出もままならなくなり、最初の数年は眠っていた。
超高齢出産の娘が産んだ孫が、小学校に入ったのを見届けて安心したのか、
あっという間に認知障害がでて、買い物は愚か、
電車やバスも1人では乗れない。
引きこもりのまま毎日が過ぎていく。


パソコンは高齢の人間にとってありがたいツールだと、
実感する機会も無く宝の持ち腐れになっているのを
貰い受けて私が使ってきた。
だから、今時のノートPCのスペックとは差がありすぎて、
お話にならない。動画の再生能力も、通信回路も、
僅か40ギガでは今一つなのだが・・・。
かつてボーナスの半分を費やして買った初代のノートPCが
僅か1ギガだった私にとっては十分お宝で使わせて貰っている。


そんな経緯もあって、
このパソコンのユーザー名は母の名前になっている。
けれどもメンテナンスをして使い続けている私は、
ユーザー名の母の名前を消さずに使い続けてきた。
ちょいと断線している母と僅かなリンクを確かめるように、
何かの弾みでご機嫌が悪くなるパソコンを宥めつつ。


単にモデムが古くなり、親機と子機の連携が悪くなっただけ。
機械の消耗が原因だと周囲から笑われるけれど、
機械も人間も意思疎通や連携に支障をきたすのは、
似たようなことからだと、苦笑いしながら使い続けてきた。
そして肝心なところで動かなくなる。
今日のような日に限って、外界と繋がらないクリスマス。
メールのやり取りも出来ない。
このところブログの更新も滞りがちで、
それは仕事の慌ただしさ忙しさが原因だけでなく、
書いても消えたり停まったり、フリーズしたりする、
ここ最近の調子の悪さに嫌気が差していたからでもあるのだが。


IPアドレスが取得できない、繋がらない。
あちらこちら弄繰り回し、夜中を過ぎて、
25日に突入しても繋がらないまま夜は更けていく。
電話の向こうで、新しいカードを買って入れ替えたら繋がるよと家人。


このノートPCはたしかに古い。スペックそのものが古い。
けれども2度の入院の寂しさを慰めてくれた戦友ともいえるノートPC。
たまたま1度目入院した病院の大部屋にLANが来ていたので、
2度目の入院も機材持込で同じ病院に入院。
私のネット中毒はこの頃から悪化したのかもしれないが。(苦笑)
仕事の憂さも、どこにもいけない味気ない周囲の景色も
電脳玉手箱の向こうには、知らない別世界。
ある時は懐かしい別世界。


外界と繋がる大切さ。それは家人の入院時にも経験したこと。
結果的に、半年も閉じ込められる入院のともなれば、
家族が付き添って病院にばかりはいられない。
けれども、そばに居ても何もできない。
パソコンが必要だったのは家人だったのか、私だったのか。
外の世界への入り口、では入り口を求めて、
寂しくて苛々していたのは家人ではなくて、私だったと思う。


繋がらない。
このことがネット社会では社会的な死を意味するが如く、
繋がらない、この事実は自分を震撼とさせる。
誰にも何も言えない、伝えられない。
誰の発言も意見も写真も何もかも、自分のところに届かない。
この孤立感。ネット社会のこの蜘蛛の巣の向こうにあるものの、
便利で、細く薄いようでどこまでも伸びていく、
不思議な連綿とした連帯感にも似た、
繋がっているようで繋がっていない、
けれども実際はどこかで繋がっている、
(そう期待しているだけかもしれないけれど)
この感覚を知ってしまうと、
取り残されて一人でいることが侘しくてならない。





PCだけでケータイを使わない私がこうなのだから、
日常的に双方使いこなしている人が、どちらも繋がらなくなれば、
パニックに陥るのもわかるような気がする。
けれども、こういう繋がり方を神様は望んでいたのだろうか。
人類はきょうだい、世界は一つ。
でも、共生の夢を見せられているだけで、
いつの間にかマトリックスのように
生命維持装置ポッドの中で眠っているだけになるのではないか。


ふとそんな夢想に浸りながらあちらこちら弄繰り回す。
外部から情報が読み取られる可能性があります。
モジュールに問題があります。
何だかんだと言ってくれるなあ。
スパイ防止もファイアーウォールもOKのはずなのに。
バイスはいじりたくないけれど覗かないと駄目か。


結局色んな指示にしたがって一つ一つ点検した挙句、
無線LAN接続のカード読み取りができていないのだから
思い切って、モデムの接続の回路を削除。
再インストールで新しい接続回路を作ると、何とか今までのように動き出した。
これで年末の予定連絡に間に合うはず。
もちろんいざとなったら有線の電話だってあるのだけれど。


繋がらない、これはボディブローに等しい今の社会。
禁煙! と宣告された愛煙家の気持ちがわかる。
おや、おかしな比喩か。
ネットに繋ぐというのは、麻薬のようなものだ。
知らなくてもいい世界を覗き、本来ならば繋がらないはずの人と繋がる。
(それは浅く広いつながりなので、本人が思っている以上に切実でもあり、
 深刻でもないばあいもある、厄介なものなのだが。)
かつて、宗教は麻薬だといわれていた。
全世界的に同じ教義・同じ思想、同じ理想で世界征服をもくろむ。
神の恩恵と称して、・・・均一に広がるとは限らない、
共生の思想は結構危険だ・・・。


そんな事を考えているうちに、25日の朝になり、
かーちゃんはサンタクロースになり損ねた。
もう夜が明けちゃったじゃないか・・・。
もっとも娘はもうサンタクロースを信じたりしていないけれど。
・・・ね。

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