Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

余りに寒く 伏見は遠く

余りの冷え込みに頭も心も凍ってしまいそうな朝、
新聞を見ると、毎年気になるセンター入試の問題が載っている。
老眼に悩む私には余り読む気が起こらない文字の大きさだが、
習慣とは恐ろしい。ついついどうしても気になって、
しっかり問題文を覗き込んでしまう。あれ、例年よりも易しい文。


何となくタイムリーで読みやすいと思って確認してみると、
恐れ多くも(恐れる必要は無いが)現阪大学長の文章だ。
その次は依然呼んだことがある人の文章だったが、えーと。
皇室が高齢者問題に言及したからでもないが、
現代文の出題内容が高齢者や障害者の福祉の範囲まで言及しているようなものを選んできているというのは、
避けて通れない問題を若者の頭にインプットする為であろうか。
直接的な表現をしている訳ではないにしても。


かの著名な児童文学者兼翻訳者が、お勤めの大学の入試の問題作成に当たって、
一期一会になる文章だから心して作りたいとおっしゃっていたのが
忘れられない私にとって、出題者側は何を意図してこの文章を選んできたのか
というのは気になって仕方がない。
何十万という人間が一度に同じ文章を読む、貴重な機会。
後に続く人間もか顧問として読むのだろうから、
何が話題にされているかは何を伝えようとしているのか、
その内容や背景は重要だ。


「悪貨は良貨を駆逐する」という常識を忘れた世の中において、
スポンサーの顔色と採算だけに奔走し、ろくでもない番組と、
通販のCMと二番煎じと続編しか作れないメディアの中にあって、
「二番煎じと続編は許さぬ良問」を心がけてきたはずの試験問題。


現代文であればいざ知らず、古典においては出題箇所を探すのに難渋し、
20年以上も前に遡るのであれば類似出題も可となったらしいので、
かーちゃんとしては娘にその程度教えるのはやぶさかではないぞと
思ったりもする親ばかのうぬぼれと雪交じりの朝。

ジーンとともに

ジーンとともに


世間は雪にまつわるニュースで溢れている。試験に遅刻、車がスリップ、
開始時間繰り下げ、試験関係者は天候を恨めしく思ったであろう昨日今日。
当初の私達の予定は朝っぱらから「酒を飲みにいく」という、
世間的に見ればまことに不埒なものであった。
昨年同様、京都は伏見まで蔵開きの酒を飲みに、
また試してガッテンでも話題になった酒粕をいつもより多めに
買い込みに行こうかと思っていた予定日の今日、余りにも寒く、
前日からの天気予報、「雪で大荒れ」に気持ちが引けてしまった。


何時から下戸を返上したのか、「寒い方が日本酒は美味しいんだよ」
等と偉そうな口を聞くようになったのか、家人は未練たらしい。
されど、私の体調は相変わらずよろしくない。というのは、
きちんと布団で寝ずに着どころ寝、炬燵猫で寝ているからなので、
毎日、連日連夜仮眠状態のせいもあるのだが、これが日常と化しているので、
仮眠と言うべきか否か。期日の決まった書類仕事を片付けるためには、
どうしてもこういう状態になってしまう、この時期の、この数年間。

<弱さ>のちから

<弱さ>のちから

おせっかい教育論

おせっかい教育論



仕事をする速度が落ちている、集中力の問題。
それよりも、事務仕事のキャパそのものが落ちている。
いや、興味・関心の度合いか。
やっても結果の出ない、検品作業ばかりじゃねえ。
フィードバックの少ない仕事のモチベーションを保つのは、本当に難しい。
よく「やって当たり前」と言うが、この齢になってもだれる時にはダレる。


「真面目」が「死語」近いというか、圧倒的に多い中で、
これはしておいた方がいい筈? しなければならない筈だよね、
と思う仕事をきっちりすることは、実は当たり前すぎて目立たない。
(大きく外せば注目度大だが)
きっちりきっちりやっても仕事だから「当然」であり、
その「出来具合」は「自己満足」や「領域の専門性」で片付けられたりもする。
その当たり前さに満足するよりも、徒労を感じることがますます増えてきた。
それが積もり積もってきて肩に重いのが、この1月2月3月なのだ。


疲れて寒くて眠れない。寒くて目が覚める。
暖房の無い家に住んでいると、暖かい家の中というものが分からない。
ストーブが台所に一つしかない家なので、台所が一番暖かい。
和室の常として、畳の上に暖房器具が無い。
唯一の炬燵は何故か板間の応接室にある。
家人から非難されている、全室納戸化している非機能的な家。
TVの前から動かない家。(炬燵から動けなくなる家)
ノートPCの前で、考えたり、文章を書かなかったら、
何も動いているものが無い家。


休みの日には外出し、機能停止常態の家から出て、
頭に刺激だけは与えねばと思ってきたものの、
ガソリン切れの体ではあるまいし、飲み食いはしたいが、
寒い外に出て行くと、体が凍ってしまう気がする。
何という軟弱もの。かといって真似はできぬ。
不凍液代わりに昼間から老父のように飲んだくれるというのも。
雪国で、(雪国でなくても)雪下ろし・雪かきしながら、
当たり前のように日常生活を守っている人、すみません。
余りの寒さに、思考回路が麻痺していくみたい。
(いつも麻痺しているのかもしれない)


暖房のない部屋でパソコンを見ているうちに、眠くなる。
寒いと凍死するのが何となく判るような気がする。
いや、単に眠くなってきただけだから、寝床に行けよ、
そう思っているうちに、醒めてぬるくなった湯船に沈んでいく、
なかなか出られないまま朝を迎えつつ、追い炊きのスイッチだけは忘れない、
そういう怠惰な入浴タイムさえもままならない、炬燵猫です。
炬燵の薄い毛布の海に浮き沈みする、日々。


かねてから家族を連れて行きたいと思っていた五風荘にて、
家人の退院5年を祝してちょっと豪華なランチが出来ただけでも
よしとしよう、今日この日。あと数年もすれば、
親の私が居ても立ってもいられない、
娘が受けるであろうセンター試験の日に
雪よ降らないでくれと、心から願う日になるのだろうから。

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜

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