Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

赤塚不二夫展

午前中家の中を片付けて、午後から出かけようと張り切っていたら、
張り切りすぎたのか、年寄りの冷や水といわれるにはまだ若いはずなのに、
掃除機を掛けている最中に左腰辺りをグキッ。
嫌な予感はしたものの、無理に大丈夫と言って聞かせ、
取るものも取りあえずの勢いで出かけたものの、
だんだん腰は痛くなる。これってやっぱりぎっくり腰?
幸か不幸か少々傷めた程度らしいので動けるのか。
かつて固まったまま動けなくなり、どうにもこうにも動かせず、
救急車で緊急入院した家人よりはましだが、嫌な予感。



寒いせいか、体のあちこちが固まっている。
そんなさなか、たったり座ったり掃除機を掛けて、
干しものを干して、バタバタしたせいなのか、
なんて軟弱な私の体・・・と嘆きつつ、いつもの家族の集合、週末。
今週の土曜のランチは久々にエスニック、トルコ料理
初めてのお店、パシャ。平日のランチがなくがっかりしたが、
味はまあまあ、女性に人気なのか店内はお客が途切れることなく。

  


今回心斎橋くんだりまで出てきてお昼を食べているには訳がある。
久々の心斎橋、地下鉄を上がれば巨大なユニクロビル。
ああ、ソニービルも今はなく、かつてロフトやパルコが眩しかった時代が遠い。
おまけにそごうは無くなり、大丸北館になってしまったわけだが、
その14階でお目当ての「追悼―赤塚不二夫展」がある。
珍しくも家人の会社に招待券が来ていたそうな。


「ギャグで駆け抜けた72年」サブタイトルがある。
そうか、そんなに若くして亡くなったのか・・・。
去年だったな、『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』を読んだのは。
私はリアル漫画黄金期世代、漫画家の娘さんたちとは同世代。
親は漫画家ではなくても、それなりに育った時代背景は同じ。
赤塚不二夫公認サイト


ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘


今から思えば生活をするのに必死、仕事をするのに必死、
仕事と子育てで追われていた親世代をよそ目に、
のんびり少年少女漫画雑誌と白黒TV、そしてカラーTV、
本放送と再放送に恵まれて漫画にどっぷり浸かって育った世代。
水木茂も赤塚不二夫手塚治虫も身近な所にあった。
手を伸ばせばあちらこちらの本で見つけることが出来た。
余りにも人気漫画家だったからそういう状態だったのだが、
漫画家本人や家族の大変さは・・・?

   


妖怪もナンセンスギャグもSFや正義のヒーローも、
ごくごく当たり前に自分の生活の中に溶け込んでいた。
連載初回から知っていて当然だった。
父親はどんな気持ちで毎週少年雑誌を買っていたのだろう。
老父が若かりし頃熱中していたのは、「無用の介」「ワタリ」など、
ちゃんばらと呼んでいたものだったが、
ギャグはどれくらい好きだったのか?

  


「おそまつくん」「モーレツア太郎」「天才バカボン
どれもこれもリアルタイムで読んでいた。
ニャロメ、ケムンパス、人間以外のキャラクターも活躍。
ストーリー漫画というよりは行き当たりばったりな笑い、
乾いた笑いであり、理屈抜きのナンセンスなギャグや下ネタ、
どうしてそういう展開になるのか全く意味不明な遊び心、
そういうものが延々と繰り広げられるのを、ただただ眺めていた。

  


今から思えば民俗学的なものが大好きな素地の背景には、
妖怪もので培われた宗教観や死生観が結構根を張っていて、
怖い恐ろしいが面白いで読んでいた水木しげる作品の影響は大きい。
SFや科学知識を必要とするもの、映画や文学全般、
ストーリ性の高いもの、社会的な作品に関しては手塚治虫作品、
そして、赤塚不二夫作品は私にどんな影響を与えたのだろう。

    


ひみつのアッコちゃん」が少女雑誌に連載されていて、
もちろんそれもリアルタイムで読んでいた。
当時の女の子は「魔法使いサリー」と「ひみつのアッコちゃん」、
そして「リボンの騎士」に憧れていたものだ。
魔法やファンタジー、お姫様願望に変身願望、
子供心、ひいては乙女心をくすぐるものが沢山あったが、
果たして赤塚不二夫作品は、私にどんな影響を?


盛況の展覧会会場で、若くハンサムな赤塚不二夫の写真に驚く。
まるで映画スターのようにかっこいい。
それがどうしてあんなに「おじさん」になっていくのか、
訳のわからない面白さというよりも、痛々しいほどのギャグになっていくのか、
人生の早い時期に売れていくことの、有名になることの、
仕事に追われることの、何かを先取りし、何かを失ったつけなのか、
明るく突っ走る、呟いたり叫んだりする懐かしのキャラクター達、
その姿を見るにつけ、考えさせられてしまう。


何を思い、有名すぎるほど有名なペンネームを捨て突然の改名。
そして元に戻したのか。もっともその頃は、
既に私は赤塚作品を読まなくなってしまっていたが。
そう、大人になるに連れて読まないどころか、本を買ってもない。
我が家に大量の漫画本があり、就職後大人買いした作品も多く、
娘も読んでいるために親子2代で慣れ親しんだ本の中にも、
実は赤塚不二夫作品は皆無なのだ。

 


リアルタイムで読み、TVで見て育った世代にもかかわらず、
私の心の中から抜け落ちてしまっていたかのように、
赤塚作品は深い所に沈んでしまっている。
元々自分から人を笑わせたり、楽しいことを見つけてくるのは得意ではない。
ナンセンスな立ち居振る舞いは苦手で、馬鹿になれない。
笑うのも笑われるのも苦手な「文学少女」だった時代が長かった私は、
自分の蔵書の中に「笑い」や「ユーモア」を優先させなかったし、
毒気のあるものを控える傾向が強かった。

  


今にしてみると、その乾いた笑いやバカボン親子のやり取り、
ア太郎の正義感やがむしゃらさ、でこっぱちの意地っ張りな一途さ、
イヤミの本当にしみったれた部分など、自分に重なるところは大きいのだが、
余りにも負の側面を感じさせたのだろう、
自分自身の傍に置いておきたい愛読書として、
赤塚作品を買い求めることは無かった。


それはジョージ秋山の作品もリアルタイムで読んできて、
面白いとは思うものの買ってまでして蔵書の中に入れない、
その距離感と同じものかもしれない。
何かしら、自分の中の負の側面を意識させる、
明るさの中にある暗さ、暗くて辛いからこそ笑っている、
そんな世界を意識させるからだともいえる。


実は今日の展覧会に関しては、娘は気乗りしていなかった。
作品を読んだことがないからだ。
仕方ない、かーちゃんの蔵書の中にはないものね。
レレレのおじさんに似たキャラクターが、「おじゃる丸」にもある。
赤塚作品の主人公やキャラクターの片鱗は、あちらこちらにある。
しかし、本物のナマの赤塚作品を見ることなく育った娘は、
とーちゃんかーちゃんが何故懐かしんでいるのか、
意味不明、なのだろう。


ただ、家人同様お笑いが好きな娘は、バカボンのパパの出身大学、
バカだ大学の赤本を買ってもらって喜んでいた。
私が一歩引いた所から眺めていても、
別の角度から眺める家人がいて、
そして、ほぼ赤塚不二夫ワールド初体験の娘がいる。
シェーをする赤塚不二夫の写真の隣でシェーをして、
ニコニコ笑っている私の写真を見るにつけ、不思議な気分。
そう、こうやって昔も遊んだはずだったのだ。
そのころの自分はどこに行ってしまったのか、分からないけれど。


沢山の赤塚不二夫グッズに圧倒されながら、
ここに集まる人たちは赤塚不二夫のファンなのか、
昭和という漫画黄金期を懐かしむ人たちなのか、
一体どんな人たちなのだろうとちらりと考えてしまう。
今の時代のお笑い、話芸では時間が持たないので、
詰まらない一発芸、一発ぎギャグばかりが流行っているお笑い。
でもその原型は赤塚不二夫のキャラクター達が存分に発揮、
何を今更の感があるから、今の芸風に冷たいのかも、私。


レレレの娘さん、何を思って生きている?
自分の母と別れた父、奔放に生きた父、闘病を続けた父、
仕事とは別の顔を知る娘としては、どんな風にこの全国津々浦々の
赤塚不二夫展」を受け止めているのだろう。
そんなことを考えても、せんないことではあるのだが、
娘の幼児期に書かれた水彩画の明るく美しい画風に、
胸を衝かれる思いがしてならない。



・・・展覧会は座るところがない。次第に腰は辛くなる。
明るいはずのギャグの王道を見ていても、
一番娘が喜んだ大勢の人間のシェーを眺めていても、
痛みが私を辛くさせるのか、彼の生涯が切ない思いにさせるのか、
「面白うてやがて哀しき」ばかりが意識される。



帰りしな、久しぶりに家人宅近くの整骨院による。
そして、何をしてこんなに疲れを溜めているのかと呆れられる。
え? 新年早々何をって、ルーティンワークしかしていないけれど。
当たり前にしなければならないことをしているだけだけれど、
それさえも体にそんなに負担を掛けている?
愕然とさせられる、1月も終盤に差し掛かった週末の土曜の夕べ。


バカ田大学 入学試験問題 馬科

バカ田大学 入学試験問題 馬科

天才バカボン幸福論。夜のつぎは朝なのだ。

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