Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

連絡なしと迷子

本日は「犬も食わない」話です。
お忙しい方は、本日の日記は読み飛ばして下さい。(苦笑)


犬も食わない夫婦喧嘩ではあるものの、当事者はお互い傷つく。
連絡があるべきだと思っている事柄に、連絡がない。
当然だと思っていることが当然ではない。
毎日毎日病院に顔を出しているにも拘らず、
ケータイであちこちに連絡したりメールしたりしている家人は、
私にはメールも電話もよこさない。


舅が遠路はるばる見舞いに来てくれたものの、すれ違い会えず。
何時来るのか尋ねていたにもかかわらず、家人からも連絡なし。
土曜日に来るとは誰も聞いていない。
いつもより早めに来ようと言ったら、「取引先が沢山来る予定」と
御託宣があったので、夕方遅めの時間に訪問を設定したのに。
会社周りと実家に連絡しても、病院といったり来たりの私には、
この1週間ただの一度も連絡なし。
君たちケータイ人間のケータイは何のためにあるものぞ?


そして自分の思い込みだけで、「見舞いに来る時間が遅い」と
機嫌を損ねて大声を上げて「もう来るな」と衆人環視の元、面罵。
腹が立つやら情けないやら、娘共々呆れ果てた。
娘も私も日常生活の中で病院と往復しているのは、
家人の顔を見たいがためであり、安心したいから。
しかし、来て当たり前、来ないと遅いと罵られるとは。
おまけに舅にも会えず情けない思いをさせられたのは、こちら。
わめいているとーちゃんに唖然としているのは娘。
B級映画ならぬ、B級家族ドラマにもならぬ有様。


命のやり取りがあったかつての入院時ではなく、
開けてみないと分からない骨の状態もまずまず、
繋げて貰って、感染症の心配も無くなり、
食欲もあるようで、ほっとしているのも束の間、
動けない苛立ちと痛みと不自由さは我慢のしどころ、
それよりも、自分だけ「実の父親」と4時間も面会?
どこの世界の話だ、それは?
面会時間は14時から、それを11時から来ていたですと?
誰がそんな早い時間に、病院に?


前もって連絡があれば、舅がとんでもない時間に病院に来た時点で、
私が忌み嫌う伝家の宝刀、握り締めて離さない外界との連絡ツール、
「ケータイ」とやらを使って、メールでも電話でも入れれば、
ランチに拾うことも、帰りに駅に送るのも、
面会ロビーに、孫の顔見世方々出向いて労をねぎらい、
出かけることも可能であったのにも拘らず、
何故、連絡がない? 連絡をよこさない?
「早く来るって言っただろう」面会時間よりも早く掟破り?
「早く来るって」当初客人が予定されていると聞かされていたが。



土曜日曜は見舞い客で賑わう病院。家族以外の者が出入り。
おまけに午後3時までは開院、診療時間内、外来駐車場もびっしり。
どれだけの混雑しているか、知らないはずは無かろうに。
当然病室も廊下もかまびすしい。
大部屋ではなかなか周囲に気を遣う。
仕事をしている平日は尚更、ぎりぎりにしか駆けつけられない。
駐車場が空き始める夕方出向くのは、当たり前のことなのに。


入院・通院&お見舞い いざというとき読む本

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病人の我が侭という火に油を注いだのは、迷子になった私たち。
もとい、何の連絡もないために気晴らしに出かけ、
16時過ぎに着く予定であったのだが・・・。
駐車場と病院のエレベーターを待ったとしても、
(高層階に繋がる3基あるエレベーターの10分待ちは
 大病院の中では珍しくはない。
 無論患者搬送用のエレベーターは別にある)
17時頃の予定だったのだが、・・・迷子になった。


通い慣れた病院への道ではあったはずなのだが、
かつて「覚悟」をして行ったり来たりしていた頃も、
似たような経験が何度も会った。
親を看取った友人からも後から聞かされていたのだが、
「病院にたどり着かない」もしくは、
「病院から家にたどり着かない」迷子状態。


この道のはずだ、この角を曲がるはずだ、
何時の道を走っているはずなのに、間違っている。
ハンドルを切りそこね、ブレーキを思うように踏めず、
知っているはずの道を1本外れると、まったく知らぬ場所。
後ろから車が来ていて、Uターンできる場所が見当たらない。
どんどん走って、だんだん訳がわからなくなり、
自分に腹を立てるよりも空しくなって、
知っている道に出たら戻ってこよう、
もう引き返すのもばかばかしくなる、
そんな状況になってしまう。
気がつけば、「外環」まで来ている。
山を一つ二つ越え損ねたのだ。


後部座席から娘も、「ドライブだね」「ドライブするしかないね」
落ち込んでいる時は、疲れている時。
疲れている時は、落ち込んでいる時。
気分転換したつもりだが、さすがに色々溜まっていた土曜日。
かつて家人が長期入院を余儀なくされた時以来の、
知っているはずの道が運転できない状態、突発症候群出現。


山の中の外環では、山の縁をぐるっと回らないと辿り付けない。
無意識の為せる技、普段歩きも通いもせぬ山道を、
知っている通りを目指してひたすら走る。
目印になるものを捜して(方向だけはわかっている)
道路標識を見ながら走る。
余計に走ること1時間余り。
しかし、この迷子時間が無くても、舅はとっくに帰っていたのだが。


とーちゃん、伝家の宝刀を握り締め、書き込みだの、
あちらこちらに連絡する余裕があるならば、
当たり前のことを連絡しろよ。
手術日以降医師に会うこともなく、会える機会もなく、
「本人に全て連絡説明済み」で全て終わる病院生活、
看護師からも無論「本人のケア」のみで終わる病院生活、
こちらからお伺いを立てる時があっても、
向こうから声をわざわざ掛けていただく時なんて、ない。
生き死ににかかわらない病人の「家族ケア」はないんだよ。
私なんて「リアルタイムで書く」時間なんてないよ・・・。


土曜の朝から掃除洗濯に追われ、普通の主婦している、
気分転換もしたし、娘も一緒だし、
でも、とーちゃんが怪我した時間帯、
あれから丁度1週間後、思い出すのも嫌だったのだ、
心と体が拒否した病院への道。
運転は上手く出来なかった、切っても切っても正しい道に戻れない、
そんなハンドルを握っている、かーちゃんの後ろで、
「ドライブだね」とのたもうた娘こそ頼もしい。


そんな娘と二人でがっくり帰る宵の口。
残すところ、家人の入院期間はあと1週間。
それ以上、病院にはいられない。
それ以上、病院には行きたくない。

入院時から始める退院支援・調整

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