Festina Lente2

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英国王のスピーチ

人は弱いが故に自分の夢を誰かの上に重ねる。
吃音を直す役目を担った人は、舞台の上で王を夢見ていた。
ほんの偶然から患者としての未来の王を診ることになる。
映画の中では当時としては常識の枠を破った、
対等の関係を前提に「支援」することになるのだが、
未来の王、王家の人間は、
シェイクスピアをこよなく愛す彼が夢見ていた
王そのもののイメージから少々かけ離れていた。

当時のヨーク公、現実の王は吃音に悩み癇癪を起こす
コンプレックスの塊だからこそ、
心の拠り所になる妻と娘たちを誠実に愛していた。
人が仰ぎ見る王家の血筋は残念なことに、
揺るがぬ誇りと卓越した自信に満ち満ちた
高貴な「プライド」とはなりえなかった。


父王からの過剰な期待、兄との比較から来る鬱屈した思い、
常に自分がどのように見られているかという苛立ちが、心と体を蝕む。
何故そんな人に、心優しき理解者が寄り添っていてくれたのか、
不思議に思えるほどなのだが。
何時の世にも強い人ばかりに憧れる女性ではなく、
その弱さを愛するがゆえに寄り添える人が現れるということなのか。


私の記憶の中にあるその人は、既に年老いて、
エリザベス皇太后として存在していた。
その彼女の王妃以前の若かりし日を演じた、
ヘレナ・ボナ=カーターの美しかったこと。
夫であるヨーク公(後のジョージ6世)を支える妻。
降って湧いた王と王妃の責務を果たすべく、
傍に寄り添う姿の何ともしっとりと女らしくて、
思いやりに満ちた妻であり母である、
その演技力に支えられた存在感の何と素敵だったこと。


ハリポタ・シリーズのエキセントリックな悪役の魔女や、
『スィーニー・トッド』の時の恐ろしい肉屋のマダムとは思えない。
役者の醍醐味と言えばそうだが、役柄が変わり、監督が代わると、
こんなにも見違えるものだろうか。
彼女の夫は奇天烈で個性的な役を妻に振って来た。
ティム・バートンは必ずしも妻を美しく撮っているとは思えない。
作品の素材としては生かされているのだろうが・・・。


今回の作品の中に捉えられたヘレナは年齢を感じさせない。
若い頃の脂の乗り切った大竹しのぶのように美しい。
(私は大竹しのぶのファンではないが)
とにかく役柄の中で匂い立つような柔らかさを醸しだす存在感、
この柔軟な役者としての資質が、異様なまでの猛々しさを放つ、
強烈な個性を持つ役の背景に隠れていたとは・・・。
最近の役柄のイメージにすっかり騙されて、
彼女の演技に先入観を持っていたのが恥ずかしくなるくらい。


舞台の上で演じるには年を取っていて王になれない、
王になりきれない、オーストラリア訛りが抜けない、
そんな博士号を持たない言語療法士と、
王家の血を受け継ぎながら、眠れる獅子どころか、
どもれる癇癪持ちを演じるコリン・ファース
言語療法士という職業さえも、まだ日本ではメジャーではない。
なのに、彼は映画の中で言い切った。
経験が、多くの言葉を失った兵士を診た経験が、
今の治療を生み出したのだと。


ユニークな、ユニークな治療の背景にある経験と自信が、
思いやりと知性と、そして、大英帝国に受け入れられない、
罪人の国だったオーストリアから来た心優しい紳士を悩ませる。
治療者として、その患者の友人として、
家族を支える夫・父として、
一般的に治療者と治療されるものの関係は、微妙だ。
お互いのマイナスの部分を引き出す。
勿論プラスの相乗効果も持つ。
転移という言葉を用いていいものか悪いものか、
お互いがぶつかり合い反発しあう時期を経て、
理解と協力の元に歩みを進める。

King's Speech

King's Speech

The King's Speech

The King's Speech


「英国王」としてスピーチをする。
それは無論、国民のためなのだろうけれど、
話すことそれ自体は、彼にとっては冒険に等しい。
周到に準備し、練習し、付き添いと共に高い山を登る、
山頂を目指すそれに等しい。


リハビリ、心も体にも必要なリハビリ。
それは仕事、それは義務、誰もが出来ない経験。
自分の言葉が訥々として頼りなく感じるかもしれなくても、
その言葉を必要としている人が沢山いると実感できる時、
それは単なる義務でも仕事でもなくなる。
天職として意味を、絶大なる影響力を持つ。
人にとっても自分にとっても。


「英国王」として存在する。
それは家族もロイヤルファミリーとなる。
英国王室のスキャンダルな女性関係には興味は無い。
今の皇太子も年上好みの浮名を流して、
王位を任せるに足るかどうか、
甚だ心もとない存在だというに人も多い。
結婚前から付き合ってきた女性と再婚する、
そんな彼を父として、息子として存在するのは辛いはずだ。
仕組まれたかのような離婚と短命、悲劇の主人公を母として、
王子たちは成長し、結婚を迎えようとしている。
その時期に、「英国王のスピーチ」とは。


そう、結婚し、未来の家族を築く若き王子を寿ぐ
スピーチをするはずの「英国王」は存在しない。
父である皇太子は、その役割にふさわしくない。
家族が崩壊する手本のような人生を歩んでいる人間に。
だからこそ、王冠も父王からの期待も、
国民も何もかも捨てていった人間に、
ロマンスを見出すよりも、逃避だけしか感じられない。
それを人間的な行いと見るかどうかは、個人の好み。


国民が期待を寄せる「皇太子」は存在しない。
だからスクリーンを使って、イメージ戦略?
悩み多き二番手から、一気に注目を浴びる存在のプレッシャー。
それを少しでも軽くするために、
「英王室」という特殊な存在をアピール?


模範的な家庭を与えることが出来ない父よりも、
忍耐強きエリザベス2世を育てた家庭を映画で見せる。
コンプレックスを乗り越えた王と、支えた王妃と、
いきなり女王の王冠を被ることになった娘と。
今の女王が育った家庭を垣間見せる。


若き王子の結婚のために、アカデミーを手中に収め、
戦略的に映画が創作されているような気さえする。
言語療法士は個人的な献身を理由に勲章を貰った。
高貴なる血筋が担うべき義務についての、イメージ戦略。
noblesse obligeを支えた一般人の存在。
その「一般人」の役目をこの映画が果たすわけ?
レッドカーペットから世界に向けて?


久しぶりに心が温まった映画だった。
英国の深い霧の向こうにも、悩む人がいて、
支えたい人がいて、どちらにも家族がいて、
辛いことも家族と理解者がいれば乗り越えられる、
そんな思いにさせられた。
けれど、その映画さえも時間が経つと深謀遠慮の計画の元に、
若き王子を支える英国の戦略、
政治的な大人の配慮のように思えるから不思議。

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