Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

逃避的TV(録画)の夜

 
ナルニア国物語』の再放送に『イ・サン』の再放送、
重なっているので、どちらか一方を見ながら録画できる。
新しいTVのこういう録画機能はさすがにありがたい。
家人は食後、することなくTVを見ている。
TVとインターネットと読書以外、
体を動かすことが出来ないと何も出来ないというのは不便だ。
しかし、本当に何も出来ないものか。


映画を見る。非現実のファンタジー
子供の頃は純粋にその世界に癒されて、前向きに人生を考えたものだ。
救いはどこかに必ずある。もしも来なければ、それが試練の時だ。
救いはいつも必ず来るとは限らない。現実の世界では。
時間が過ぎていくのをじっと我慢して待つ。
明けない夜は無い。そういう言葉を子供の時に覚え、
大人になってから、時々余裕のあるときに思い出す。
そう、余裕が無いパニクっている時は、何も思い出せない。


訓練された無意識の行動が、いつの間にか全てを遮断し、
やるべきことを機械的にこなし、とりあえずの結果を導く。
ファンタジーの世界では救い主がいる。救世主が。
予定調和の世界の終末論、物語の終結
最後を子供時代に読んで知っている。
救われるということが、何を意味しているのか、
現世での生活が終わるということが、何なのかを知った。
ナルニア国物語』は壮大なストーリーだが、
その世界はキリスト教的な教義が散りばめられていて、
教会の日曜学校の世界は深く広く心の中で成長していった。


映画館で一度見ているのに、どうしてTVの前に座ってしまうのか。
二人でいるのに、会話することが見つからない。
そして、私は仕事に疲れ切っている。
引き受けても報われぬ、そんな思いが一旦まとわりつき始めると、
なかなか離れない。まったく情けない。
疲れるとマイナスの思いに引きずられる。
自分で良かれと思ったことが裏目に出始める。
自分で招いたことなのか、陥れられたのか、不安になる。
ファンタジーでは解決し得ない現実の重さに。

カラー版 ナルニア国物語 全7巻セット

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ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 [Blu-ray]

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『イ・サン』は途中からしか見ていないが、
艱難辛苦を耐えて改革を断行した立派な王と
今も慕われる存在らしいが、現実は不幸だった。
彼の愛した女性も子供も失われ、跡継ぎは政敵にあしらわれ、
改革はなし崩しに終わり、無に帰した。
彼の母親の稀な長命は悲劇の証人となるしかなかった。


生きて在ることが幸せの原点なのに、
ファンタジーの世界には醜い生存競争、相容れぬ存在、
対立は子供の世界に無いわけではなく、
権力争いは愛情を争うのと同じくらい当たり前。
動揺に歴史を背景にしたスペクタクル長編ドラマも、
徹底的過ぎるほどの権力争いの中で、人間がずたずたにされていく。


最悪の日の連続のような、政治の世界。
美しい衣装をまとい、礼儀としきたりの中で、
儒教の教え厳しい礼節の国の話題の長編ドラマが、
こんなに迫力のあるおどろおどろしいものだとは思わなかった。
年末から年明け、最終回に至るまで『イ・サン』で見たのは、
努力も尽力も灰燼に帰すような反対勢力との軋轢、
束の間の安らぎさえももぎ取られ、裏切られ、
何を信じ何を愛すればいいのか、そのアップダウンに
ただただ目を見張っていた。


でも、それは創られたドラマの世界で、
現実はもっと凄まじかったのかもしれない。
ファンタジーを描いた人間が来世での救いしか描けなかったように、
現実の空恐ろしい厳しさを知っていたから、
せめてものファンタジーの中での正義と愛、報いと救いだったのかも。
そんなふうに思いながら、更けていく夜、
ただただ更けていく夜。

「イ・サン」オリジナル・サウンドトラック

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韓国ドラマで学ぶ朝鮮王朝の歴史 (キネ旬ムック)

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