Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

リーピチープと再会

ナルニア国物語』の映画版3作目を見に行く。
原題(邦訳)は「朝びらき丸東の海へ」に慣れ親しんでいる私としては、
アスラン王と魔法の島」という映画用の題名はしっくり来ない。
「The Chronicles of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader」
瀬田貞二の日本語訳が古いと思っている人が多いのかもしれないが、「朝びらき丸」という語感には、
いかにも児童文学に人生を捧げた人の工夫と温かみがあって、
個人的にはお気に入りの訳語だったのだ。


それはともかく、地震騒ぎ以前から家人の大腿骨骨折、自宅療養、
私の仕事の年度末と重なって、家の内外は殺伐。
娘と共にゆっくり過ごす時間がなかなか取れていなかった。
普段なら単身赴任家庭の週末確保を死守、
あれこれ計画を立てて、一緒にどこかに出かけ、
3人で普段食べない食事を楽しみに過ごしてきたのだけれど、
1月末からどこにも出かけずに来てしまった。


せっかく娘のために前売り券を買っていた
ナルニア国物語 第3章」をなかなか見る暇もなく
今日まで来てしまった。何しろこの3月から、
日曜日は丸一日塾に出かけてしまう羽目になった娘。
私としても寂しいこと限りない。
娘としても平日の水泳とピアノをやめたくないので、
選択した週一度の塾通いが日曜という究極の選択? 
新しいスケジュールに戸惑うことも多い2月3月だったに違いない。


しかし、映画の中で繰り広げられる世界では
そんな勉強がどこまで役に立つのか、わかったもんじゃない。
自立心、冒険心、義侠心、思いやりと優しさ、
高潔高邁な理想に燃えるひたむきさ、忠誠心。
大いなるものに頭(こうべ)を垂れる謙虚さ、
そういうものは今の学校では学べない。


言葉、信念、約束、信仰、言い伝え、神話。
バーチャルな体験優先の今は、読書体験でさえも浸透しないのか。
良質なファンタジー、童話、物語、伝説の世界に分け入り、
励まさ続けて来たあの頃を懐かしく思い出しながら
映画を見ている私のような「大人」も多いとは思うのだが。
いったん画像として固定されてしまったイメージを、
今の子供たちがこれから先ずっと持ち続けてしまうのだと思うと、
それはそれで何となく侘しく悲しい。


船に乗って島を巡りながら冒険するイメージを、
今時の青少年は、『ナルニア国物語』の「朝びらき丸」よりも、
パイレーツ・オブ・カリビアン』の映画で得ているらしい。
もっとも「朝びらき丸」以外に海の冒険といえば、
『宝島』や『白鯨』が一番という世代から見れば、
今の子供の海の冒険ものには迫力も荒々しさもないと
大いに物足りなく感じているのかもしれない。
いつの時代も先に生まれた者は、後の世代、
次の世代の目にするものにしっくりこず、不満に感じ、
分不相応の贅沢だと苛立つものなのかもしれない。

朝びらき丸 東の海へ (カラー版 ナルニア国物語 3)

朝びらき丸 東の海へ (カラー版 ナルニア国物語 3)

スペシャルエディション ナルニア国物語 全1巻

スペシャルエディション ナルニア国物語 全1巻



第2次世界大戦中、不本意疎開生活を余儀なくされている
ルーシーとエドマントの兄妹。疎開先の同居人、
どうしようもなく心の捻じ曲がった従弟のユースチス。
彼との生活に疲れ果てて従軍を希望するも、年齢が足りないエドマント。
常にナルニアに戻りたいと思っている二人の前に、
部屋に掛けられた1枚の海の景色、一艘の船。
突然絵から水が溢れてくる。
あっという間に平凡な部屋の中が、大海に通じる。


きっとこの場面は3Dならではの工夫が凝らされていたのだろうが、
私たちは目が楽な従来通りの2Dで見ていた。
近隣のシネコンでは3Dの吹き替え版しかなく、英語版も3Dのみ、
娘が見られる時間帯では英語版の上映なし。
あのメガネを掛けながら映画を見る苦痛よりも、
従来通りの2Dで問題ないと判断のうえ、(経済的にも)鑑賞。


ここ1ヶ月、仕事にも世間にもうんざりしている私は、
どうしても逃避傾向。この冒険にのめりこむ心境にシンクロし易い。
泳ぐ、水の中に放り出されるという瞬間。
開放感と共に、無意識の世界で再生の機会を与えられ、
ナルニア仕様に再組成されるイメージに浸った。
羊水の中を漂い、現世現実から別世界ナルニアに生まれ変わる、
そんなイメージを登場人物達同様感じ取った。


かつての弱々しいイメージから、凛々しい王として指揮を執るカスピアン。
荒ぶる海の男たちの中にたった一匹、際立った存在のネズミの剣士、リーピチープ。
彼だけがひねくれユースチスに剣を手ほどきし、
ユースチスが強欲から竜に変身してしまった後も優しく寄り添い、
勇猛果敢であると共に慈悲深く友愛溢れる存在は前作から健在。


この愛すべきネズミのファンは、ナルニア国物語ファンには多い。
キリスト教精神に溢れるこの作品には「後のものが先になる」
「最も小さきものがもっとも大きなもの」という理念が、
そこかしこに散り嵌められている。

さいごの戦い (カラー版 ナルニア国物語 7)

さいごの戦い (カラー版 ナルニア国物語 7)

人間の主人公や登場人物よりも、圧倒的に存在感のあったリーピチープ。
そんなファンタジー映画のエンディング。
いまだ見ぬ世界への憧れに胸躍らせて、心安らかに誇り高く
アスランの国に漕ぎ出すリーピチープの姿。
不本意だが映像化・視覚化されたネズミの剣士への尊敬の念を
今日はいっそう新たにした。


今までもファンタジーの世界の入れ子構造にはいつも驚かされ、
その額縁構造、入れ子の中に複雑に書き込まれたストーリー、
次々に現れる謎解きの旅、試練、友愛、仲間。
溢れんばかりの多くの登場人物の中で、
一番小さいのに忘れることのできない存在、リーピチープ。


始めてこの物語を読んだ時、残念ながら子供時代は終わっていた。
確か英語版も流し読みしたから大学生にはなっていただろうが、
最終巻『最後の戦い』読了後、
私はこのネズミに迎えて貰うことができるだろうかと、真剣に思い悩んだ。
今日映画を見て、久しぶりにその当時の思い、
若く初々しい頃の願いを思い出してしまった。


更に、一瞬のうちに被災し、彼岸に迎えられた方々は、
そのアスランの新しい国に迎え入れられたのだろうかと
思わずにはいられなかった。
古いものは滅び、内に新たに生まれる新しいアスランの国に、
招かれ迎え入れられたのだろうかと、想像してしまった。
今度の災害の前にこの映画を見ていたら、
きっとそこまで、そんなふうには思い及ばなかったかもしれない。


後から来たものが先になる。
いと小さきものが大いなる偉大なものとして復活する、その世界。
今の世はそこに繋がっているのだろうかと、
次の世に繋がっているのだろうかと考えずにはいられない。
私の憧れるリーピチープに再会できる資格を持って、
私は生き続けることができるだろうかと。

ナルニア国物語 第3章アスラン王と魔法の島 オリジナル・サウンドトラック

ナルニア国物語 第3章アスラン王と魔法の島 オリジナル・サウンドトラック

僕たちの好きな「ナルニア国物語」 (別冊宝島)

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