Festina Lente2

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乾いていく水曜日

帰宅すると、今日仙台と電話連絡が付いたよと老父の声。
新たに一件、昨日に次いで通じたのは今日で2件目か。
でも、大阪から掛けて通じるのは奇跡的。
朝掛かっても、それ以降は全く通じなくなる。
ネットで見る被災者名簿、避難所の名簿の中に名前が無いから、
無事だよね、そういう確認の仕方で納得している。
TVと新聞で確認しても誰も見つけられない。
それが無事の頼りだと信じている。


「便りが無いのは元気な証拠」というけれど、
有事のときは事情が違う。伝言板に、避難所に、
至る所に書き込み、メールがあればほっとできる。
まかり間違っても載って欲しくないところに名前を見つけたくない、
そんな思いで記事を見る。職場モードの頭の中が溶解していく。
朝と晩。頭の中は静かに沸騰している。
高山でなかなか沸騰しない、空気が薄い中の呼吸
調度いい具合にふやけていかないラーメン、
私の脳みそはどうなってしまったのか。


日中は職場で丸一日拘束されている。
仕事を放り出すわけにはいかない。
これでも真面目に働いている部類、自分で言うのもなんだが。
そんな役割ばかり振り回されていると思っているが、
無論組織の中の一員なので、出来ることと出来ないことがあり、
自分のやっていることは微々たることであり、
他の人間のやることの方が優先順位や難易度が高く、
穴埋め隙間事業だということは、よくわかっている。
拗ねたり僻んだりしているわけではなく、適材適所。

異動・配転・出向Q&A (労働法実務相談シリーズ3)

異動・配転・出向Q&A (労働法実務相談シリーズ3)



家族やその他のことで気持ちが振り回されやすく、
落ち込みやすい自分が、仕事と家とのバランスを取りつつ
良くここまでやってきたなあというのが正直な感慨なのだけれど、
世間で「非常時」といえる事態が起こり、
幸か不幸かそこから距離を取れる場所で日常業務をこなし、
生活できていることのありがたさと申し訳なさを抱きつつ、
丸一日拘束の年度末を過ごしている。


緊張の内に始まり、今年は共同作業よりも個別作業、
横並びではないので気持ち幾分軽めで丸一日過ごせたのは、
今の精神状況としてはありがたかった。
被災地はいうに及ばない状況なのは無論、
何も出来ぬ連絡が取れぬとじたばたしたい気持ちを抑えつつ、
町内会の墓掃除だの植木の選定だの買出しだのに明け暮れる老父、
世界がどうなっているかおぼつかぬまま閉じこもる老母、
祖父母の温度差の谷間で行ったり来たりしている孫娘。


そしてそのは母である私も普段の日常でさえも、
ただただ必死に「こなす」毎日。振り子のように、
親子3人で戯れ出掛ける非日常の週末を軸に生活してきたのに、
それがなくなってしまうと、自分の輪郭がぼやけてしまった気がする。
ぶれているのかいないのか、不安定なまま。


はっきりしっかりしていることは、
家族無事、定職あり、日常をこなせ。
このことだけなのだ。
『終末のフール』ではないけれど、淡々と、
涙が出そうになっても、今いる場所での生活をこなす、
仕事をこなす、それだけなのだろう。
老親を娘を、両松葉杖の家人を置いて何も出来ない。
家の中が回るように、仕事が回るように、
やきもきしながら掃除や選択料理をしたり、残業したり、
回るところから回していくしかないのだ。


焼け石に水だ、そんな風に悲観的にならずに過ごせたらいい。
でも、被災地ではないところから普通に淡々と、
頑張っていかないと、心配で崩れちゃ何にもならないんだと、
頭ではわかっていても心は切ない。
泣いても何にもならないから泣けない、そんな水曜日。
あの津波の水はちゃんと引いていっているのだろうか。
水浸しの仙台空港の映像が、飲み込まれ壊されていく町が何度も写る。
頭の中で繰り返されている。


ああ、これだな。侵襲性の高いものに巻き込まれるな、
TVをネットを付けっぱなしにしてはいけないというこれだな。
頭でわかっているけれど、心の中で繰り返されている。


水曜日。毎日一日が長い。残業が堪える。
人に仕事を振れればいいのだが、誰も喜んで残業はしない。
自分の仕事をこなすのが基本だけれど、
「それは私の仕事じゃない」と言って線を引いて、
それ以上は何もしない人が多過ぎる。
何もかも引き受けることは出来ない。
それはそうなんだけれど、心が乾いていく水曜日。

終末のフール (集英社文庫)

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砂漠 (新潮文庫)

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