佐藤忠良、老衰で逝く
宮城県人2世としては、震災はもちろん、彼の死はショックだった。
彫刻家として、特に母親からよく聞かされていた。
何かよほど思い入れがあったのだろうか、今となっては分からない。
父親は「佐藤斎藤は東北にはよくある名字で」と言っていたっけ。
確かに知り合いや親族にも佐藤姓は多い。
だから、子供心にも記憶に残って馴染み易かったのかもしれない。
むろん作品を宮城美術館に見に行った。あれは社会人院生の時。
学会が母の母校、東北大学であったので、これ幸いと出向き、
杜の都・仙台で佐藤忠良を観に行ったのだ。
あの時の感動は今でも忘れられない。
印象に残っている作品群の伸びやかな手足。丹精な面差し。
金属で作られているとは思えない、硬質な端正さとふくよかさ。
静止しているだけで、もしかしたら今にも動き出す?
そんな一瞬の動きを鋭くえぐって繋ぎとめた、
そんな動的な彫刻とは少し趣きを異にする、
しみじみと感じ入る「静かなる永遠」があった。
佐藤忠良の彫刻は、私を未だ見ぬ思い出の世界に誘い込むような、
何故かしら「郷愁」をそそるものだった。
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20代、出張で東京に訪れた時間をやりくりして見に行った、
朝倉彫塑館。夕暮れの洋館は生活と芸術が一体化して、
滑らかな柔らかい空間を感じさせた。
そして、30代で訪問した宮城県美術館の佐藤忠良記念館。
ここを訪れて、長年の母の夢を果たしたような、
母との会話を膨らませることができたような、
そんな気持ちになった。
私が美術館博物館通いに熱中し始めた中学生時代。
確かにその傍には母の姿があったはず。
京都まで片道2時間以上かかって、美術館を目指す。
その道は、母から教えられたものだったはず。
いつから一緒に観ることなく何十年も過ぎてしまったのか。
もはや、母は電車に乗ることもなく過ごしている。
母の時間は記憶や体力と共に、生きながら少しずつ静止している。
余りに母から彼の名前を聞かされていたせいだろうか。
それとも若くして関西に暮らすことになった母には、
同郷の芸術家の活躍は、憧れの先輩を仰ぎ見るがごとく、
また、母なりに心に思う何かがあって、よく口にしていたのか。
一体娘に話しながら、何を伝え共有したかったのだろう。
「日本人の彫刻なら佐藤忠良よ。」「そうなの?」
東京で朝倉彫塑館をただ1度訪れただけの私。
海外であちらこちらの美術館博物館を見て回った私、
様々な美術品、確かな作品、確立された個性。
・・・確かに一目見れば、佐藤忠良「彼の作品」と分かる。
その事が、母にとって灯台のように心を照らすものだったのか。
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そして、ニュースで報じられた訃報記事に久しぶりに見た文字、
「老衰」。最近は滅多に見ない単語なのでは?
心不全、多臓器不全、○○癌、△△症という文字はよく見ても。
芸術家は長寿だというが本当にそうだ。98歳。
訃報記事に「老衰」と書かれている。それだけでも凄いと思う。
5つの時に亡くなった曽祖父が「老衰」だった。
いつからだったのか、奥の間に寝付いたまま、
静かにこの世を去っていった時のことを思い出す。
人の死の意味がそれほど分からない年齢ではあったが、
「老衰」という言葉は覚えた。
あの頃は土葬、賑やかとも思える行列を墓地まで繰り出した。
今度の震災では、やむを得ず土葬の所も多いと聞く。
寂しさとは裏腹の鳴り物入りの葬儀の行列、
木でできた丸い棺桶、そういったものが曽祖父の記憶と共にある。
その時のイメージがどうしても重なってしまう、佐藤忠良の訃報。
私の中で、老衰で亡くなっていった曽祖父の面影が、
イメージが、佐藤忠良と重なる。
もっとも、生きていればとっくに100歳を越しているから、
実際には佐藤忠良は祖父と同じぐらいの年齢。
祖父は畳の上ではなく病院の中で沢山の管に繋がれ亡くなったので、
老衰のイメージからは程遠い、苦しい臨終だったような気がする。
親戚の者が集まるまで機械に繋がれていた、
呼吸と鼓動を人工的に支えられていた、そんな祖父の死の床は、
和室の畳の上で、瞳孔を確認した医師が告げた臨終の時とは異なり、
無機質な、周囲の白さが重々しい壁のように感じられる空間だった。
それは日本の社会が家で看取る時代から、病院に任せる時代に、
「社会の変遷」で片付けられてしまうことなのかもしれない。
が、事情は違った。
祖父は無理にしなくても済んだ消化器の術後不良で亡くなった。
胃潰瘍だったのか、胃癌だったのか、
早急に手術の必要などないと聞かされていたのに、
全く普通に生活していたのに、術後数日で亡くなった。
静かに畳の上で枯れていくのではなく、もっと生きようとして
自分から望んで手術を受けたというが、今となっては分からない。
切らなくてもいい所にメスを入れたのだと聞かされたりもした。
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彫刻家はどんな気持ちで自分の作品を作っていたのだろうか。
自分の世界を凝縮させていったのだろうか。
粘土で型を作り、イメージを膨らませ、
人の体を、トルソーを、頭部を、部分としての肉体を、
どんな思いで創り上げていたのだろうか。
多くの女性像を創った佐藤忠良。
女優佐藤オリエの父、シベリア抑留からの帰還者、
震災の地、神戸にも数多くの作品を残す彫刻家、佐藤忠良。
ちょくちょく軽い胸部痛に襲われるようになって来た今、
自分の体には「老衰」はやって来ないだろうと、
そんな思いに囚われる。(更年期にしろ、不定愁訴にしろ、
健康に自信があるとは、とても言えない)
曽祖父の代に当たり前だった「老衰」は、
私のような生活をしている人間にはやって来ない。
佐藤忠良が自らの作品の中に自然に埋没していったように、
(晩年、作品を作るペースが遅くなった頃、
ドキュメント番組で製作過程を見たことがあったが)
自然に作品世界に溶けるように、日常生活が次第に霞み、
消えていくような、この世からの去り方はなかなかできない。
私は「老衰」に憧れているのか?
いや、そうではなくて、静かに苦しまず枯れていく事に、
多くのものを遺していける人生に憧れているのか。
仮に死は突然、であったとしても、
何かをしっかり遺せていける人生に。
そんなことを考えた、今日。
明日は両親の結婚記念日。
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