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嬉しい記事哀しい記事

11日の日付でブログ友達のくまさんの所に赤ちゃん誕生。
めでたい、ほんにめでたい。ひたすら嬉しい。
自分のことのように嬉しい。
たった1度だけとはいえ、出産を経験することが出来た者としては、
人様のお産もどんなに大変だったか、あれこれ想像してしまう。
妊娠出産の経過・経験は人それぞれとはいえ。


私はもう、自分の血を引く赤ちゃんを自分で産み育てることはできない。
神様に許され授かった子供はたった一人。それでもありがたいこと。
不惑初産の高齢出産はリスクが大きい。経産婦ならともかくも。
結婚しても果たして妊娠できるかどうか、妊娠しても無事に産めるかどうか、
そして、生まれてきた子供が健やかに育ってくれるかどうか、
先々のことを心配してはきりが無いといわれそうだが、
身二つになるまでの十月十日の日々を何も考えずに過ごしたり、
無為にお腹の中で子供を育てるということはあり得ない。


人はそれぞれ思いを抱えて生きている。
その、親としての人としての思いを、いつか自分の子供が、
同じように知ってくれるか、感じてくれるか、
どんなふうに生きていくのか、あれこれと思い巡らす。
単純に幸せを願うだけではない。
人の世に生まれ出る、その魔法のような奇跡だけでも素晴らしいけれど、
五体満足に生まれて欲しいの願いから始まり、
親はあれこれと際限なく欲張りになり、子どもに色んな思いを託したくなる。


このブログを書き始めてから多くの方々、特に女医さんの出産と子育てに
随分関心を抱いてきた。仕事を持ちながら働くのは当たり前と世間は言うが、
日本はその環境整備に対してまだまだ遅れている。子育ては母親が中心、
家事育児は女がするものと暗黙の了解をいまだに抱いている輩も多い。
キャリアを捨てて、挫折感に打ちひしがれる女性も多い。
身体的なことばかりではない。妊娠出産が社会的な生活にどれほど影響するか。
いくら声を大にして言っても、まだまだ。
「自分が産むわけではないので背負わずに済むリスク」に対して、
きちんと向き合える、理解のある人はなかなか増えていないと、
いまだに感じることが多い。


私自身はかなりの高齢出産で予定日より2週間後れ、
3度目の誘発でやっと出て来てくれた出産だったが、結果的には安産、
出血が多くて貧血になってしまったものの、年齢の割にはお産そのものは
楽だったのではないかと今でも思っている。
むろん、主治医からは3度目の正直(誘発)が効かなければ、
帝王切開のつもりだったと後から聞かされた。
もしもの場合のために、分娩室がそのまま手術室になる持つ母子医療センター。


看護師さんに実際母体が回復するには1年と言われた。
でも、その時は自分の体がどういう状態か把握できていなかったといえる。
今回の赤ちゃんのお母さんは医師として、
様々な角度から自分自身と周りの環境を知った上で出産に臨んだはず。
だからこそ、私とは比べものにならぬほど、自分自身のケアに、
そして赤ちゃんのケアに心を砕くことが出来るだろう。
産前産後の超センチメンタルな時期、何もかもが新鮮で鋭敏。
自分も周囲も驚くべき早さで変化していくことに、アップダウンの繰り返す。
高揚した気持ちと交互に訪れるブルー。


それでも、妊娠出産の経過は千差万別であれ、
神のみ恵みである赤子の生命を、親としてのこの手に抱くことができるのは、
ただただ出産後、生きることを許された者のみ。
「出産」、自分の身の中に命を育み産み落とすことが出来ること。
その素晴らしさ、その大変さ、恐ろしさ。
母となるという、時と場合によれば自分の命と引き替えだという暗黙の了解を、
世界中の女性は当たり前のように引き受けて、人類の歴史を支えてきた。


だから、出産にまつわるニュースを、
バーチャルな関係とはいえ知ることが出来ると、様々なことに思い及んでひたすら感動。
自分の経験、思い、一人だった頃のこと、再体験・追体験して感涙。
おめでとう。本当におめでとう。
おめでとうを心から電脳玉手箱の蜘蛛の巣に載せて届けたい。

赤ちゃんの誕生

赤ちゃんの誕生

新版 5月生まれの赤ちゃんの本 誕生前から満1歳までの成長とケア (誕生月別赤ちゃんの本シリーズ)

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そして哀しい記事。訃報。
大好きだったTV番組『アタック25』の司会者、児玉清氏が亡くなられた。
胃がんだったそうだ。番組を降板してからあっという間だった。
実はTVで見る姿、ひげを伸ばし始めた頃、面やつれしているのが気がかりだった。
でも、年格好は老父と変わりないので年齢的に体力も衰え来る頃、
そのせいで痩せ始めたのかと思ったりもしていたのだが。


クイズ番組の司会者と言うよりも、最近ではNHKの週刊ブックレビューで活躍、
ばりばりと新刊も話題本も読みこなす知性派としての印象が強い。
新しい外国ドラマの宣伝にも一役買い、原書片手にコメントする姿など、
文学少女としてはそれだけで訳もなく憧れてしまう、そんな御仁。
もっとも、仕事に追われている私は気分転換にどこでも読める文庫本、新書、
ライトノベル、漫画等、黄泉散らす程度の読書生活が久しい。
腰を据えて読む「読み込む」「考える」読書から遠ざかって久しく、
児玉さんとタメ張るような読書も追っかけも出来ずに、
深夜番組で紹介される数々の本を、もはや自分には縁遠いものとして、
眺めているだけ聞いているだけに終わってしまっていたことが、悔やまれる。
恩師の教えを顧みることなく放蕩を尽くして学業を疎かにした教え子の心境に近い。
(いつから勝手に教え子?)


なして、胃がんなどで。検診による早期発見も進んでいる今、
本人は人間ドックに行かなかったことを後悔していた、病気を怖がっていた等、
様々な情報が乱れ飛ぶ中・・・。年齢的に進行が遅いはずなのに、なして?
もっと早く見つかっていたはずなのに等、心の中であれこれ思ってしまう。
我が家はガン家系ではないが、老父は働き盛りの40代初め胃潰瘍
オイルショック後のリストラの嵐のさなか、激務に耐えきれず胃を半分ほど失った。
それでも、まだ酒も煙草も切らさず、吐血して緊急入院後も輸血で生き延び、
ご先祖様の守りも余程のものとみえ、ありがたくこの年まで来ているだけに、
その老父よりも若い児玉氏が先に、余りにもあっけなく逝ってしまったことに、
少々ショックを覚える次第。やっぱりファンだったのかな。

負けるのは美しく (集英社文庫)

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いや、自分を支えてきてくれた世代、親世代が消えていくことへの哀しみ、恐れ。
当たり前のようにおんば日傘で育ってきたTVっ子第一世代の私たち。
娯楽番組、スポーツ中継、アニメ、何でも黄金期と呼ばれた時代、
技術的な実験機、各局各番組の演出・工夫・競争華やかなりし頃に、
映像メディアの恩恵を思いっきり享受して生きてきた私たち。
お茶の間のTVに変わる事なき日常生活の背景を信じてきただけに、
その一角が脆く崩れ去るのを、当たり前のことだというのに受け入れ難い。
著名だから、有名人だから、芸能人だからというだけではなく、
何かしらの影響を受けていたなと感じていただけに、
ニュースから受ける喪失感は思いのほか深い。


自分たちの世代が次世代の傘になっているのかどうか、はなはだ疑問。
それでもそこにいる、あるだけで心の助けになる。
そういうことが思いがけない形で見つかったり気づいたり・・・
されることが来るかな。そんな日が。
生まれ来る者もあれば去っていく者がいる、当たり前。
嬉しくもあり、寂しくもある。そんな知らせの1日。

寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)

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児玉清の「あの作家に会いたい」

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