Festina Lente2

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掘り起こされた思い出

いまだに話題になっている『阪急電車』を見ていて、
すっきりさわやかな気持ちになるよりも、
学生時代の苦い思い出がふつふつわいてきたのは、
ひとえに解決されない問題を
この年になっても引きずっているからかと、
嘆息する自分を持て余している。
連休中に見た映画は原作を読んだ時よりも、
映像イメージで迫ってくるだけに、リアルに落ち込ませてくれた。


その一つ一つはたわいも無いことばかりなのに、
年をとっても自分の心の中は
ぐるぐる渦巻く雑念煩悩執着があるのだと、
若い頃からちっとも解消されていないのだと、
改めて思い知らされた次第。


学生時代。第一志望ではない大学に入ったことで、
梅田から別れ別れになる電車。
厳密に言うと同じ路線を走っていても、十三で別れる。
西宮北口までやって来ると、母校に女学院、
宝塚の華やかな面々が揃い踏み、場違いな所に来てしまったと、
何度も気まずい思いをしていた自分を映画の中に見出した。


でも、映画と異なるのは、私にはロマンスのかけらさえも無かった。
電車の中で経験したのは、押しくら饅頭に等しい混雑ばかり。


恋の鞘当て、DV彼氏、いじめっ子もかまびすしいおばさんも、
頼りない年上の彼や、憧れの志望校も何もかも、
自分の思い出の景色とは異なるというのに、挫折した無念さ、
ただただ恋のあだ花も無く、無為に過ぎていった時間、
文字の中に埋もれ、未来を知ることも無く、
絵に描いたような「文学少女」を望んでいた時間。


それはあっという間に過ぎ去ってしまったはずなのに、
遣り残した課題、達成されなかった目標、叶わなかった望み、
手に入れることの出来なかった沢山のもの、
それらは仕事を得て「大人」になることで諦めて、忘れて、
与えられた役目を果たして、毎日を続ける。
わめきたくても泣きたくても、苦しくても辛くても、
思い出は思い出、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこと、
今更取り返しの付かない数々のことを嘆かない、
嘆いても取り戻せない、そう頭の中では分かっていても、
何十年経っても忘れているのではなく、忘れようとしていたのだなと、
改めて思い出してしまったのは・・・。


電車で揺られていた10代から20代最初の昔の自分が、
映画の世界の中で自分の下へ再び運ばれてくる。
小学生? 中学生? それとも高校生や大学生?
恋のフィルターを通してみる華やかな景色も知らずに、
本ばかり片手に電車で行ったり着たりして過ごした、
あの頃の日々を懐かしがっているのか、
そんな感じ。

本を開いて、あの頃へ

本を開いて、あの頃へ