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NHKドラマ『マドンナ・ヴェルデ』

一昨日が最終回。NHKドラマ頑張らざるを得ない。
何しろ民間で映画化された『ジーン・ワルツ』の裏表。
同じ題材で主人公の母親視点のドラマを作る。
どう料理するかが見せ所。みどりなす皐月の時期に憎いね。
原作を色んな演出で料理されるというのは、原作者にとってはどんな気分か。
楽しいものか、こそばゆいものか、それともわくわく?
はたまた意図した所とは違うので鬱陶しいものなのか。


全回を全て観られたわけではないので、細かい部分はどうしようもないが、
映画よりも時間が取られる分、演出の細かいこだわりが見え隠れ。
原作読者やTVのみの視聴者、私のよう両方の原作も映画もドラマもという、
欲張りな人間にとっては、その時の気分の影響もあれど、
色々な角度から突っ込んでみたくなるのだけれど・・・。


たまによく見かける書評としては、問題提起となった『ジーン・ワルツ』の
医療問題提起にまつわる緊迫感は結構受け入れられているのに、
マドンナ・ヴェルデ』の側の母親視点に対しては原作者批判が厳しいという点。
もちろんどちらも面白かったという意見も多いが、母親中心のドラマに関しては、
母性というもの、女性の視点というもの、出産に対するリアル感が無く、
男性が観念的に描いたものだという批判が後を絶たない。
おそらく原作者としても覚悟していた批判だろうが。


それはさておき、ドラマ化するに当たってその批判を覆したかったのか、
NHKドラマ担当者の演出のこだわりだったのか、松坂慶子の持ち味が妙味を添える。
いつも堅い蕾の雰囲気で、『ジーン・ワルツ』の魔女の雰囲気からはほど遠い、
可憐な感じを前面に出している医師としての信念優先のような国仲涼子よりも、
どの作品にもよく見られるほんわかした天然キャラを漂わせながらも、
母として孫を妊娠する形になった松坂慶子の女性的な雰囲気に、
ちょっと見とれている私。


たぶん、NHK松坂慶子ファンが多いのかな? 『篤姫』の時といい、
咲くやこの花』『ゲゲゲの女房』といい、今回といい、結構よく出ている。
そして、押さえどころとなって結構美味しい役柄。
今回は、年齢的にはあり得ない妊娠する55歳。ある意味魅力的。
不惑妊娠高齢出産経験者としては、何かしら切実な思いで見入ってしまう。
主人公の名前の「みどり」がタイトルロールになっているこの重要性、
緑色が意味する、連想させる様々なもの。心理学的に解釈しても面白い。


理性、理知的な部分、意思としての能力には恵まれているものの、
母親から観て何かが欠落しているように感じられる娘、理恵。
女性的な母性的な雰囲気を常に漂わせながら、感情的に動いているように見えて、
冷静に行動し、子ども(孫)の未来を守ろうとする母、みどり。
癒しの色、新緑の色、未熟で未成熟なものを内包しながら、
光合成をして生命エネルギーを蓄え循環させる葉緑素の緑、
安全な青信号の緑? 新鮮で瑞々しいから緑?
医療関係者にとっては手術室でおなじみの緑?
(血液との補色の関係で様々な臓器の色の鑑別がつきやすいらしい)


色んな緑があるのだけれど、そのことを意識してなのか、
松坂慶子が着る衣装や羽織もの、ちょっとした小道具に微妙に使われていた、
様々な緑色がドラマの仕立てに影響していた。これは意図的な演出。
わざわざ原作者がこだわって付けたみどりを拡大解釈して物語の枠組みにするための。
でも、これ以外の部分、原作では表現されていなかった所で、
私が思わず見入ってしまったのは別の部分。

マドンナ・ヴェルデ

マドンナ・ヴェルデ

ジーン・ワルツ (新潮文庫)

ジーン・ワルツ (新潮文庫)


モルフェウスの領域』ではステルス伸一郎と呼ばれ、
(おそらく『ステルス・デザインの方法』の長沼伸一郎氏を意識したネーミングのようにも思えるが)
『医学のたまご』では息子の窮地を救う頼もしいパパでもある、
ゲーム理論の第一人者、曾根崎伸一郎の若き日の描かれ方。
父親として親権を主張するかどうかというところが物語の後半の要になるのだが、
原作では姿を現さない彼が、ドラマでは義理の母親の所に顔を出す。
その描写が何とも言えず興味をそそられた。
そして、義理の息子を迎えもてなす姑、義理の母親役の松坂慶子にも。
演出として供される手作りの日本料理や浴衣。
代理母である姑のお腹にほほをくっつける伸一郎。リアル描写だった。


そして、あれは実家の理恵の部屋? 昔の部屋の演出?
今も私が大事に取ってあるにもかかわらず、娘には読んで貰えなかった、
小学館の「少年少女世界の名作文学50」がずらりと並んでいた本棚。
あのシリーズを知っているのは、私とほぼ同世代のはず。
母親みどりが55歳の設定ならば、確かに自分の持ち物として持っていてもおかしくない。
今の年齢の私自身、早くに結婚して出産していれば、
理恵ぐらいの年齢の娘がいてもおかしくないので、演出小道具の文学全集はリアル。
母親としてのみどりがの若かりし「時代」を感じさせた。



そして、脇役としてずいぶん活躍した元新聞記者で俳句の先生、
丸山氏との初々しいラブラブ? 中高年の爽やかなお付き合いの雰囲気。
原作では何も伝えられず急逝するのに対して、こちらはずいぶん積極的で、
おまけにみどりを支え、理恵に助言しと大活躍。
そしてあっさり急逝して、みどりを号泣させるなど、原作とは大違い。
その演出の中でしみじみ感じられたのは、中年以降の人間にとっての未来とは何か。
若者にとっての未来とは異なり、将来の一点において確実に、
常に「死」を意識している、し続けているということ。
未来は「死」に近づくことを意味する。


出産。女性にとってもっとも死に近い瞬間。
男性には決して触れることの出来ない領域。
生と死が隣り合わせになるからこそ、世代というものが受け継がれる瞬間。
命が生み出されるという現場の生々しいまでの危険。
「ゆずり葉」ではないが、次の世代を確認して散っていく。
その役割を象徴的に表しているのが「丸山氏」の役目であり、
みどりと理恵の母娘にとっての仮の夫・仮の父的な存在として、
物語にバランスを与えていたといってもいい。


この点では目で読む小説とは異なり、視覚的な要素も強いドラマでの、
演出上のバランスとしては気配り以上のもの、視聴者の心理的安定をはかるべく、
制作者側のなにがしかの倫理的な配慮さえも感じられる。
理恵のように理想に向かっては犠牲も厭わないタイプ、
ありきたりの設定のホームドラマを嫌悪する人も多いが、
みどりのように子どもの将来を第一に案じることに通じる家庭的な要素に
安心感、帰属感、物語構造の癒しを感じる者も多い。


そこは一捻りあるNHKドラマなので、単なるハッピーエンドに終わらず、
代理出産の問題提起として、世間の逆風にさらされながらも協力して生きようとする、
そんな母と娘の描写で終わるのだが。(ある意味feed、餌付け、食事場面で)
しかし、物語そのものはステルス伸一郎が父性を発揮すれば、
結構強い背景だなと思わせる。後の彼のメールにある「食事メニュー記載」刷り込みが、
みどりによって為されたものであることを知っていると、
「同じ釜の飯を食う」関係の強さ、生命力の連帯感をも感じる。


振り返ってみて、ドラマ『マドンナ・ヴェルデ』の突っ込みどころは・・・。
まあ、私自身、クレーム処理に追われているので、
DVD録画したドラマに見入って、懐かしい文学全集、親子のあり方、
父性と母性、食の力、物語の後日談にあれこれ思いをはせながら、
リア充・非リア充を行きつ戻りつしている、皐月も残りわずかの頃。

モルフェウスの領域

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医学のたまご (ミステリーYA!)

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