Festina Lente2

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雨の出張日

出張は何が楽しいといってルーティンワークじゃないことが楽しい。
しかし、時間的な余裕があればともかく、出張のせいで仕事は押せ押せ、
余裕が無くなってしわ寄せが来るので、日常業務に支障を来すのが普通。
こんな自転車操業をしていていいのかと、哀しくなる。
でも、まあ「キャシャーンがやらねば誰がやる」ほどの
意義と意気込みはなくとも、誰もやらない仕事をするのが仕事。
そんな感じのする出張が本日。天気は雨。


時間がないと何が哀しいって、昼ご飯抜き出張。
空しい気持ちでシリアルバーの類をペットボトル飲料で押し流す、
色気も遠慮も節操もない電車内、もしくは駅のベンチ。
小雨降る中、傘を差すのも面倒でそのまま歩く。
少々濡れても死にはしない、放射能の雨でもないし。
そうであっても、多かれ少なかれ日本の空は世界よりも汚染されている。
今更・・・、そんな捨て鉢な気持ちになって歩くいつもの研修、出張。


着いてみれば、これですか。かの有名な、知る人ぞ知る。
確かにこれは使いようによっては使えるかもしれない、でも・・・。
お涙頂戴の子どもを転がす仕掛け、ツボを見せつけられているような、
ベタな部分、バタ臭さ、荒削りな素材に疲れの方が先に来てしまう。
そんな内容。だってトシなんだもん。この手の世代じゃないもん。
正直にそう感じているので、席を温めているだけの時間、
昼も食べずに雨の中駆けつけてきたのは何だったのか、空しくなる。


年を取るってこういうことかもしれない。
若い人が、「おお」とか、「へえ」と素直に思うことを、
「何を今更冗談じゃない、けっ」と、こざかしく感じたり、
うざったく思ったり、馬鹿馬鹿しくてやりきれなくなってしまう。
親子の断絶以上に年齢のあいた世代で、仕事を共有することの難しさ。
変化の早い今の時代において、何かを共有死、共通認識を持ち、
仕事の土台を固めることの困難さを改めて噛みしめる。

世代間格差ってなんだ (PHP新書 678)

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雨ふる本屋 (単行本図書)

雨ふる本屋 (単行本図書)


あーあ、年は取りたくないもんだなあ。
見知らぬ人から挨拶されて、それなりに受け答え、
相手の知りたい人間は私の背後にいる人。その人の近況を、
それとなく伝える、お付き合い、慇懃無礼な挨拶のバリエーション。
そして、待ち合わせ場所に行けば、かなりの時間ロスでやってくる娘、
そのせいで機嫌が悪くなる家人、一生懸命仕事を切り上げ、
時間をやりくりした分、遅れてくる娘のせいでみんな消えてしまい、
後から仕事に押し寄せてくるあれこれを思うと、苛立ちを隠せない。


こんな娘に誰がした。自分だ。平気で遅れてくる。要領の悪い、
時間の感覚の希薄な、これって若者特有の、いい加減さ?
世代的なもの? 無限に時間があるように、湯水のように時間を使う、
浪費する若者を観ていると、自分の娘でもやたら腹が立つ。
昔は読書をしながら人を待つことも苦ではなかったが、
今は字を観ることが苦痛になってきているのだから、尚更。


週末家族の終末が近づいて来ている今、待ち合わせそのものも、
惰性になっているのか、緊張感が薄れてきているのか、
集まる意味を喜びを、楽しさを、強烈に実感できなくなってきている、
それぞれが疲れ過ぎている、毎日。
何故、疲れながらも一つの場所に集まろうとしているのか。
それは明日出かける予定があるから。
自分にとっては二の次だが、家人にとっては大切な。


近畿は昨日梅雨入りをしたという。新記録の早さ。
そして新記録の早さの台風が来ている。
近づいている時に台風に向かって、出かけようとしている私たち。
出かけることに何の意味があるのか、少々抵抗を感じつつも、
日々の疲労の中、ご機嫌斜めのまま、花金のはずの夜は、
小雨の中でその色を濃くして更けていく。

雨の降る日は考える日にしよう ([絵本は人生に三度]手帖?)

雨の降る日は考える日にしよう ([絵本は人生に三度]手帖?)