Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

台風日和に運転 

家人の用事に徳島まで付き合い、しばし会食。歓談。
懐かしい顔ぶれに、心和むいっとき。目の前には鯛を初めとする、
山海の珍味。上げ膳据え膳で盛大に飲み食い・・・と行きたいが、
あれこれ気を揉むことも多い。
何しろ杖さえあればどこへでも出かけられるとはいえ、心配。
雨風の強い慣れない場所で、階段でも踏み外したら・・・。
飲めもしないのに飲み過ぎたら・・・。


そんな心配をよそに、女性客向けのキャンペーンを実施しているホテルの、
ささやかな気遣いが嬉しい夜。(髪を傷めない上等のシャンプーやリンス、
イオンドライヤー、ミネラルウォーター、ハーブティーの数々)
薄暗い明かりを頼りに、持ち込んだ書類仕事を半分片付け就寝。
・・・ベッドではなかなか熟睡できない。朝。
朝風呂に気分しゃっきり。朝食。



昨年訪れた時のホテルは、徳島名産の品々を取りそろえたバイキングの朝食だったが、
ここはずいぶん古い形式のというか、伝統的な洋食または和食の朝食。
私たちは和食で、家人は洋食で頂く。飲み物のみご自由に、か。


  


食事を取る最上階のレストランから観る景色。
眼下に走る線路は単線。そう、徳島に電車は無い。
未だに汽車が走っている。わずか1両の列車を観て娘が声を上げる。
そりゃ、8両が普通の電車を見慣れていれば、珍しいよね。
車が無ければ生活できない徳島。人口辺りの医師の数が多い徳島。
私たちが娘を授かった頃は、活気に溢れていたように思えるが、
訪問する旅に寂れているような気がするのはどうしてだろう。
長引く不況のせいなのか。それとも、時間の流れのなせる技。
単に私たちが老けてしまったせいなのか。

あわわのあはは 徳島タウン誌風雲録

あわわのあはは 徳島タウン誌風雲録


この台風直撃の中。予定がいくつか中断されたものの、
台風のお陰で先方の予定が狂い、こちらから会えることになった人も。
会えて嬉しいことも、びっくりすることも、残念なことも。
悲喜こもごも。そして、かつて住んでいた場所を訪ねてみると・・・。
懐かしさこみ上げる景色。かつて働いた場所。封鎖・閉鎖・改築・増築。
人通りもまばらで、活気が無く感じるのは雨で人通りが少ないせい?



雨の中、ハンドルを取られたわけではないけれど、家人ミスる。
幸い大事に至らず、JAFのお世話にもなりながら、
ますます台風に向かって南下する私たち。
ひとしきり娘の幼友達、懐かしいママ友達と会食。
かつて娘を抱き、離乳食代わりに食べさせたフランス料理の店のランチ。
スープに浸したハーブ入りのパンを、君は美味しそうにもぐもぐした。
その頃を思い出す。ベビースイミングの後のひとときを。


 


その店は今はなく、別の店に変わった。当時のママ友達はいずこ。
それでも幼なじみと会った娘の表情は明るい。
久しぶりの再会の戸惑いも殆ど無く、話が弾んでいる。
そう、進級してクラブ活動もままならず、朝もなかなか起きようとしない。
なかなか笑顔の観られなくなった君のために、台風だろうが何だろうが、
とーちゃんの用事にかこつけて、かーちゃんは南下してきたんだ。


徳島銘菓イルローザのお土産も頂いて、いざ大阪へ戻らん。
台風はどんどん追いかけてくる。その中をひたすらハンドルを握る私。
香川方面道路は封鎖、大鳴門橋が封鎖されれば大阪へは戻れない。
制限速度も何のその、雨風も何のその、飛ばしてみれば・・・、
おおおおおお、こぇー。橋の上で横風を喰らい流されながら、
何とか通過。この時点で、晴れ女の私に振り切られた台風ソンダグー、
熱帯低気圧と姿を変え、台風の座から滑り落ちた。



必死で淡路SAまで辿り着いて、休憩。雨は上がり、先ほどまでの必死の運転、
あれは何だったのかと、脱力。帰宅するまでは家人にハンドルを託して、
私は休憩タイムに。雨は再び明石大橋でも大阪臨海道路でも容赦なく襲いかかる。
よくもまあ、こんなふうに台風に向かってドライブし、台風を背にドライブし、
行ったり来たりのスリリングな1泊2日を過ごしたものよ。
仕事の憂さを晴らすのにはいいが、振り回された娘が少々かわいそう。


とにかく嵐のようなスケジュールは消化。
徳島に出向くと車のアクシデントがあるという、
そのジンクスもきっちり踏んで、5月最後の土日は終わった。
娘よ、君の小学校生活最後の皐月のお休みが、台風と共に去っていったよ。
強行軍、みんなお疲れさま。

台風かあちゃん―いつまでもあると思うな親とカネ

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