Festina Lente2

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クルム伊達、惜敗に思う 

クルム伊達ウィンブルドンタイブレーク
ビーナス相手に一歩も引かず、第1セット取る。
アラフォーで再起、不屈の底力、世界大会の覇者と互角に渡り合い、
第1セットを7−6で取り、スタンドを沸かせた。
以後、3−6、6−8と惜しくも落として敗れたとはいえ、快挙。
試合に勝つことだけが勝利ではないと実感させてくれた。
http://ameblo.jp/kimiko-date/page-5.html#main


『エースをねらえ』世代の私は、中学生の時軟式を、
大人になってからはテニススクールで10年間余りダブルスを趣味で続け、
遅れてやって来たマイテニスブームの中で独身時代を過ごした。
今のように健康に不安がつきまとうこともなく、仕事の合間にテニス。
だから、毎年ウィンブルドンの頃は血が騒ぐのだが、いかんせん、
哀しいことに年を取り過ぎた。リアルタイムでライブを見る元気が無い。


昔は夜中2時まで試合を見ながら手に汗握って起きているなんてことは、
どうってことなかったのに。
自分がテニスクラブの試合でタイブレーク、疲れて足がつってこけて亀裂骨折。
その入院中にもこっそりTVで試合を見ていた私だったのに。
今は、パソコンするにも先に仮眠をとっているか、先に寝て早朝か。
(年のせいで目覚まし無しで起きられるもんね)
余程体調が良くないと集中力が持たず、駄目。


不惑。妊娠出産。人生で第2のスタートと思って、
身も心も充実していた時だな・・・、ある意味。
スポーツに熱中、何かの業績を上げてというわけではなくとも。
人生のうちで、人間として経験値が思いっきり上がった頃。
高齢出産は、私にとってはウィンブルドン並の価値があったなあ。
・・・などと、思いながらも公子・伊達・クルムのダブルス戦の快挙を願う。


果敢なるアラフォー。伊達公子
あのシャラポワでさえまだ24歳だというのに、この世界では「年齢が高い」扱い。
体力がものをいうスポーツではあるけれど、それだけが全てではないはず。
伊達公子、37歳からのカムバック。
http://d.hatena.ne.jp/neimu/20100928
 http://d.hatena.ne.jp/neimu/20100929


ああ、社会人院生の時だったな、思わず振り返る。
この年になると面白いくらいというべきか、哀しいくらいというべきか、
10年というスパンを振り返るのは造作もないこと。
しかし、運動選手にとっての10年はどれほどのことか。
自分自身にとってのこの10年はどうだったか。
そして、娘は。
我が娘との蜜月期間はとうに終わり、早くもなかなか厳しいものが。


小学生に入って、高学年となり、水が手から漏れるように、
どんどん離れていく自分自身の命の分身。しかし、全く別の人格。
子どもの成長を喜びつつも、その余りの速度にやるせなく、寂しく。
成長しているからこそ離れていけるのだとは、わかっているけれど。
傾いていくシーソーが釣り合うことはないのだ。


テニスをやめた時、妊娠がわかった時。
運動は控えなければならないとわかった時。
独身時代、健康維持とストレス発散で続けてきたテニスをやめ、
ラケットを置いた。再び始めようと思った時には、
子育てに余裕ができかけていたけれど、体力に余裕は無く、
1時間ほどラケットを触っただけで、テニス肘
体力も筋力も、全く衰えていた。


心に体力があるように、頭の回転、仕事の速度、何事もそのことに関して、
基礎体力が無ければ長続きしない。持続しない。
だから、続けていこうとする限り、無理もする、疲れも出る。
今まで経験したことの無いような、不測の事態にも遭遇する。
それが当たり前であると思っても、みんな年のせいにしたくなる。
色んな意味での体力不足、老いのせい、老化現象、更年期症状のせいにして、
責任逃れをしたくなってしまう、そんな自分を意識する。


だからこそ、正面からチャレンジし続ける、クルム伊達公子が眩しい。
その笑顔の、一挙手一投足の陰、サーブやスマッシュの、ボレーの向こうに、
どれほどの鍛錬を要しているかを思うと、凡人は嘆息するのみ。
憧れ、夢、希望、尊敬の向こうは、単純に賞賛することさえおこがましいような、
そういうものが累々と積み重ねられている。


惜敗、惜しいなと思ってしまう自分は、
「勝ち続ける」ことが難しいことを、不可能に近いことを、
いつかは舞台から降りたくなくても降りなければならないことを、
既に身に染みて知っているから。
個々まで仕事をしてくると、出来ること終えること、
何となく区別している自分に気づく。


したいことやりたいことと、しなければならないこと、
やらなければならないことは違う。趣味と仕事の差、
現実と理想の差、そういうものの狭間で、夢見、憧れる力を、
自分の中にどうにかこうにか引き留めておきたい。
そう思ってじたばたしている自分が、歯がゆくも嫌いにはなれない。
そう信じて生きてきたのだけれど。


暑さの中でナメクジ状態の自分。
何をどう頑張っているのか、惜敗には遠く及ばぬ日常。
「現状維持は後退の一歩」と檄を飛ばしていた母。
「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、 褒めてやらねば人は動かじ」を、
常日頃口にしていた父。
自分はモットーにしている言葉があるか? 座右の銘があるか?


ゆっくり急いでいるつもりで、どこに行こうとしているのか。
見えているのか、いないのか。
忸怩たる自分、ナメクジのような自分。
些事ものに埋もれて溶けている、かつてのアラフォー。
あの頃の自分の勢いは、いずこ?

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