Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

天空の農園

    
  


「天空の農園」に至るまでの道が、これまた炎天下のビルの外の階段。
非常階段ではないものの、暑い暑い。(雨天だったら階段登るのは危険)
その農園に至るまでが、『天路歴程』ほど大げさではなくても、
「天空の農園」に至る道は健常者ではないと大変。


    
  


階段の壁面には、緑をあしらっているものの、単純に綺麗と感じるより、
この水遣りはどうしているんだろう、壁の反射熱はどうなのか等、
あれこれ考えながら見てしまう自分がいる。
綺麗な花が咲いていても、ただ愛でるだけででは終わらない。
どうしても、世話する段階の事を考えてしまう。
大きなビルを見ると、単にその大きさに感心したり憧れたりするのではなく、
どんな風に設計し、どのように工夫して建てたのかと考えてしまうように。


    
  


そんな事を考えながら、やっとビルの屋上に到着。
生命維持装置の部分、ビル内部に設置できない部分が露出している。
その横に太陽電発電の風向計が生き物のように、その羽を揺らしている。


    
  


こともあろうか、その下で田植えの風景。
早乙女とは行かないものの、一組の男女がせっせと小さな泥水の一角で。
早苗涼しく吹く風はビル風? いや、屋上は多少涼しいとはいえ、熱風吹く今日。
まさか、このような場所で田植えを見ようとは。


    
  


この天空の農園までやっと上ってきた人にとっては、一休みの場。
目を楽しませてくれるのは、美しいというよりも、
かわいらしい、ささやかな坪地の庭の集合体。
よくもこのような場所に土を盛ったものだと、唖然としながらも
微笑ましい作付けに見入ってしまう。


    
  


ほおずき、玉蜀黍、ミニトマト、茄子、ハーブ類、花、
記念樹までとは行かないけれど、精一杯背伸びしている植物たちの、
「生きている」有様が広がる、ビルに見下ろされるビルの屋上。
これが天空の農園、か。
(公式ブログはこちら→http://osakastationcity.com/blog_farm/


    
  


ここでも、せっせと写真を撮り続ける娘。
いいアングルを狙って工夫を凝らしているよう。
今時の子供は幼い頃からカメラを使い慣れて、機械をおもちゃにし、
コンピューターは身近な存在で、ケータイが無い生活など考えられない。
そんな人々が、緑をどのように慈しみ育てるのか、
私たちと異なる観点で、人智の思い及ばない成長や変化を遂げる自然を、
どのように見ているのだろうかと不安になる一瞬。


    
  


ビルの屋上、風は吹く、日は照る、雲は流れる。
真夏を思わせる入道雲を見ると、一瞬心は子ども時代に。
裸足のまま駆けだしたい、そんな衝動に駆られる。


    
  


まだまだ近所は建設中。大阪駅の再開発。
貨物駅は取り壊され、トラック輸送の時代に土地に有効利用。
それが、豊かな暮らしに直結するものなのかどうか。
品数は多いが、生活に必要なものではない趣味の雑貨や洋服だけが、
栄養面では必要のない、嗜好品としての食べ物だけが、
再開発の上に胡坐を書くことになりはしないか。
そんなふうに考えてしまうのは、自分が年を取った証拠?


    


綺麗だね、凄いね、どんなものが出来たんだろう、
これからどんな風になるんだろうと、手放しで喜べない。
これから先、電力不足が危ぶまれる状態の日本。
震災で非常時に、関西だけがこんな状態でいいのか。
新しい街、新しい建物、新しい駅万歳と喜ぶ前に、災害対策は、
非常時対応はできているのかと、当然点検しているんだろうなと、
姑・小姑のように考えてしまう自分がいる。


  


節電なんか、うちは関係ないとほざく政治家を抱く大阪。
ただでさえ交通の不便な場所に血税を使って、
府庁移転という世迷言にこだわる輩の跋扈する大阪。
悪目立ちをしたがるようでは、中央政府を嗤えないと思うが、
そんな事を気にする神経も無い雲の上の人たちの思惑をよそに、
ビルの谷間にあって、空を無心に目指す植物は愛らしい。


  


昔の名残、カリヨンの下を通ってJRから阪急方面へ。
炎天下歩き過ぎて軽い頭痛、かーちゃんはよろよろ。



せめて、家族に美味しい夕食を。
頑張ってパスタ、リゾット。スープ。
かーちゃんだって、作れます。
でも、本当はばてていた、今日の散策。
行きはよいよい、帰りは怖い。
そんな、新しい大阪見物の今日だった。
(ちなみに本日の写真には、娘が撮った物も載せています)

〈写真集〉昭和の大阪

〈写真集〉昭和の大阪

大阪観考―大阪資産×5名の美術家

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