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『SUPER 8』に見出すコミュニケーション不全

思うにコミュニケーション不全、自分の言いたいことが言えない。
理解して貰えない、喪失感を抱えたまま生きていくことの痛み。
そういうものが全面的に描かれている映画だった。
スピルバーグの作品に対する尊敬の念を込めた映画であるという宣伝よりも、
今この時代、この時期にこういう映画を作るのだということが、
何だか意味深な、別の物事に対する伏線のような気がしてならない。
主人公の少年のメッセージも、まるで震災の被災者に語りかけているように聞こえ。


母を突然の事故で失った主人公の男の子。残酷な日常と運命は受け入れ難い。
妻を突然の事故で失った主人公の父親。その原因を作った男を許せない。
単なる事故だったとしても、休んだ男の代わりに妻が仕事に入らなければ、
亡くなるはずはなかったのだと、妻を失った喪失感を怒りに変えて恨みを抱く。
そんな保安官補佐を父に持ち、家族の要だった歯は失った思春期の少年は、
ぎくしゃくした家庭生活を送っている。機能不全に陥っているのは明らか。


幸いなことに行き場が無いわけではない。映画好きの友人とゾンビ映画を作っている。
役割もあり頼りにもされてはいるが、自分の言いたいことが言えているわけではない。
降って湧いたようなヒロインの少女との絡みも、ぎくしゃく。
周囲とのコミュニケーションに対して消極的なのかと思いきや、
少女の側も少年に距離を置いているのは、異性として意識しているからではないらしい。
少女の父が飲み過ぎて仕事に出なかったせいで、少年の母が事故に巻き込まれた。
そのことを気に病んで、父に対しても距離を置き、少年に対してもぎくしゃくし。


そんな感じで映画は始まっている。あらゆる人間関係の背景に、
自分の気持ちをストレートに表現することが出来ないという、
コミュニケーション不全の状態、心がくすぶっている状態が被さってくる。
好きだと言えないから映画に出演してくれるように頼んだ彼は、
自分が太っていて異性にもてないことを知っている。
そのコンプレックスをバネに、8ミリ映画創作に意欲を燃やしている。


思春期は自分の外見に異常に気を遣う時期だ。身長、体重、そして外見。
同性には、異性にはどのように見られるのか。どんな印象を与えるのか。
自分のコンプレックス、劣等感を補うべく趣味や特技で偽装し、自己表現。
無意識のうちに鎧を身につけて自分を守る。
映画を作ることで、監督や演出家である自分をアイデンティティに組み込む少年。
火薬に熱中する少年も、すぐに吐いてしまう少年も、
自分の内なる破壊的な衝動、言葉よりも反応する体で自分を語ろうとする。


では、主人公は? 彼は自分の気持ちをどのように解放していくというのだろうか?
意思疎通できない父と、なかなか打ち解けてくれそうにない彼女と。
そして、彼女は? 母親が逃げ出した後、残された自分と父親。
この関係の中で、父親をどうやって愛し、許し、少年との関係を築いていくのか。
全ては『スーパー8』に関わることで、錯綜したそれぞれの思いが絡め取られる。


更に、衝撃的な鉄道事故の場面。その原因を作った教師もまた、
言いたいことが言えないまま秘密を抱えて生きてきた人間。
死を覚悟して行動に出た決意の表れ、その自己表現が小さな町の大事故。
元、軍に勤めていた教師が解放しようとしたのは自分の気持ちだけではなかった。
軍事機密とされていた宇宙人の存在、そのエイリアンを故郷に帰す、解放する。
そのための大事故、大惨事に少年達と少女は、町全体が巻き込まれてしまう。


悪役の軍人。宇宙人を敵視し、拷問し、意のままに操ろうとする人間。
彼もまた、自分の気持ちを押し殺して善意の人のように見せかけ、
目的のためには手段を選ばぬ人間。宇宙からの訪問者に対して、
道の存在に対して強い恐怖と敵意だけを抱いて、攻撃と研究の対象に。
接触テレバス能力を持つと思われる宇宙人は、この手の軍人とは交流できず、
人間、ひいては人類に対する憎しみと敵意を増強させるばかり。
故郷に帰ることが出来ず、理解も協力も得られない宇宙人。
この映画の中野関係は人間同士も人間と宇宙人も、コミュニケーション不全。
言いたいことが言えない、伝わらない、理解できないのオンパレードだ。


かつての映画作品へのオマージュだと言うが、そのリミックスの端々に見出されるのは、
かつての映画に見出したほのぼのとした明るさ、見通し、信頼感や安心感、
見終わった後のすっきりした雰囲気からはほど遠く、殺伐とした哀しさに満ちている。
宇宙人との交流場面は恐怖映画に近く、心のやりとりもそれで終わりか?
それで通じていると言えるのか? の短さ。テレパスだからいいのかもしれないが。
少年の心の痛み、喪失感、同情、労り、そういうものを一瞬のうちに感じ取って、
少年の台詞一つで納得・一掃できるほど、宇宙人の鬱屈した思いは軽かったとは思わないが。


巣作り・巣ごもりにも似た宇宙船の創造場面。パニック映画とSF、CGのたまもの、
そして、カタルシスに至るために全てのゴミを押し流す勢いで厚めがガラクタが、
宇宙船に変貌して空の彼方に消えていく、ラストシーン。
主人公の少年は母を喪った痛みを乗り越えた証として、ロケットを手放す。
そう、ペンダントではない。母の写真の入ったロケット。
思いの詰まったロケットが、空に飛ぶ。見事な掛詞。
イメージの相乗効果。でも、それが果たして登場人物達の関係性の改善、
本質的に癒されたことになるのかどうか。

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大事故、軍の横暴、町中パニック、宇宙人の存在、
掠われた娘と行方不明の息子を捜すため、お互い避け合っていた男達は過去を受け止め、
未来に向けて動き出す。コミュニケーションは、言葉だけではなく行動を必要とする。
少年達も少女も大人も子どもも宇宙人も、それぞれが痛みを乗り越えて、
未来に向けて行動しようとする。自分の思いを形にしようと決意し、行動し、
過去を振り返っても、過去に囚われすぎずに生きようとする。


自分自身を解放する。傷を乗り越せる。死にまつわる怒りや哀しみ、
喪失感から逃れるために必要な心のエネルギー、その大きさが、
あの爆発事故の大惨事であり、全てを巻き込んで創り上げられる宇宙船であり、
激情が押し流す今までのこと、解放が宇宙へ飛び立つことに繋がり、
それぞれの視野は広がって・・・。


ということで、8ミリフィルムに捉えられた一瞬は、
広い視野で見ると意味深な世界が広がっている。
その末端に繋がる現実なのか、現実に繋がる末端としての記録なのか、
人の心をとらえて放さないフィルムの彼方、それぞれが見出す物語。
『スーパー8』の秘められた物語。
見つめることで表現する、写し取ることで自分の意志を表現する。
人は見たいものを見出し、聞きたいものを聞く。
その世界において、フィルムの中に納められたものに、何の意味があるか。


小説の如く、額縁構造を持つ映画を見ながら、
あれこれ思う。輻輳・交錯する思いを読み取る作業に。
解釈を加えたくなる、その世界に。
要は、伝えられないこと、伝えきれないこと、伝えたいこと、
そういう自分の在り方に、表現しきれない、理解できないされないしない、
そういう世界にこだわっているからだろうと、再認識されられた映画。
『スーパー8』は臨床心理教材だったな。

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