Festina Lente2

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家飲みの夜

私が子供の頃、親は勉強しろとうるさくは言わなかった。
「後悔しないようにしろ」とは言われたが、
一日何時間と机に向かう時間を定められた覚えも無く、
夏は好きなだけゴロゴロし、学校から渡された宿題だけした。
毎日は駄目と釘を刺されたので、二日か三日に一度、
1回20円で通った市民プール。アマガエルも一緒に泳いでいた。
蒼い蚊帳を吊って寝た蒸し暑い夜。
縁側の雨戸の木目から差す光。白いカーテンに逆さまに映る朝顔
午後から夕方へ、死闘熱闘延長18回の夏の甲子園三沢高校


その後臨海工業地帯の埋立地に出来た、新しいプールは1回50円。
海は消え、家の近所のプールから毎日聞こえる尾崎紀世彦
夏は日焼けした皮を向き、虫籠を一杯にし、
麦茶をがぶ飲み。浜辺のラジオ体操でかろうじて早起き。
その繰り返しで過ぎていった小学生時代。



炎天下をテクテク歩く出張先。
今や、いい年をした大人になった私。出張先で食べるサンドイッチ。
冷たいビールがあればいいのにと思いながら齧り付く。
午前中に聞かされたピサの斜塔ならぬ斜陽日本の学力とPISA
娘の世代の学力低下が今に始まったことではなく、
ゆとり教育の良さが生かされるのは、いつの日のことか。
放任にも似た自主独立の理想と幻想。
ゆとり世代のお陰で日本の屋台骨はかしいだ。
教育格差や学力格差が騒がれ、財力の違いは学力の差となり。
そんな話にばかり、どっぷり漬かって日長一日、うんざり。



双極化していく格差社会は、自傷行為的な無意識の表れ。
上昇志向ではなくその逆に向かっていく、下流志向。
みんなで消えれば怖くない? 緩やかな集合的破壊衝動?
カンカン照りの道を歩きながら、言葉が空回り。
「みんな違う」ことを求め過ぎ、「無責任に等しい自由」を望めば、
無秩序こそが正しいことだと錯覚してしまう。
そんな輩が出てきても不思議ではない。


   



勉強することをけなしながらも塾通い。
ケータイ・ワンセグツィッター、便利な世の中へアクセス。
情報を取り込むことが人生の幸福のように思わされ、
自分の頭で考えるより、垂れ流しの人の思考の欠片に乗っかり、
何となく漂っているだけで自分で考えた気分になっている、
そんな人、そんな世代、そんな子供に誰がした?


「みんな違ってみんないい」の意味を取り違え、
自分だけの基準を大切にし過ぎるて、仮想世界に住みたがる、
そんな非リア充優先の、子育て、育児、学校、社会。
学力と言えるのかどうか、問題解決能力と言っていいのか、
わからないから計らない、だから結論は出ていない。
見直したり、傷ついたりしなく済むと先延ばし。


色んな議論・言葉・学説・データが渦巻く中。
今日、出張先で見たもので一番印象的だったのは、これ。



街中にも欲しいよね。公共機関には必ずあるとは言うけれど、
いざと言う時ここにあると絶対わかる、これ。
AED付き自動販売機。誰にでも覚えられる、人目に付く場所。



急に動かなくなった心臓に電気ショック。
にっちもさっちも行かない世の中や政治に刺激を?
心臓マッサージでは埒があかないから、お灸をすえなくちゃと、
日常生活をひっくり返した、悲惨な天変地異。
その「衝撃的」な春から4ヶ月が過ぎ、関西の炎天下。
今日、私は佇む。AED付きの自動販売機の前で。


出張先で人の話を聞き、久しぶりに会う人の顔を見、
世間話を交わしながらも全てが通り過ぎていく、夏の夕方。
頭は空白。ひたすら飲みたくなるのは、何故?
簡単手料理、家飲みの夜。家人と差し向かいつつ家飲みの夜。
理想は遠く、腹はくちく、頭は重く、眠りたいだけ。
そんな風に一日が終わる。そんな家飲みの夜。
どんな話も頭の上を通り過ぎていく。
目に焼きついているのは、自動販売機のAEDだけ。
真っ赤な自動販売機だけ。