Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

アサヒビール大山崎山荘美術館

昨日の山崎ミニトリップの後半、目指すはアサヒビール大山崎山荘。
そこにはモネの睡蓮がある。ぜひ観たいと思っていた。
昔の山荘。いわゆる庶民の手には届かない、かの時代の別荘、
当時の豪奢で瀟洒な山荘とは如何なるものか。
せっかくここ、山崎まで来たのだからと欲張って足を伸ばした。
空は青く、入道雲百日紅の夏らしい取り合わせ。
線路沿いとなる旧街道筋をてくてく歩き、再びJR山崎駅
しばし、山荘行きのシャトルバスを待つ。


    
  


千利休の茶室、国宝待庵があるという妙喜庵を斜めに観ながら、
バス停待合所の大山崎山荘美術館のポスターを眺める。
涼しげな青い1枚。「かんさい いす なう」


    
  


夏空の下、バスにしばし揺られ坂道を登り、山荘入り口。
広大な庭を森林浴しながら歩き、辿りつく。
その落ち着いた佇まいは、やはり日本ではないような、
ちょっとヨーロッパに迷い込んだような、そんな気持ちにさせられる。


    
  


残念ながら、内部は写真撮影は出来ない。
こちらを見てその様子をお楽しみください。


本日の展示は、実際に座ることの出来る椅子。
展示品であると同時に実用品である椅子。
その良さは見栄えだけではなく、実際に座ってみなければわからない。
というわけで、さっそく家人とあちらこちら気の向くままに、
座ったりなでたり、腰掛具合を試してみる。
何しろ平均体重よりも、ちいっとばかし重い私。
外見のデザインの良さが売り物のような華奢な椅子は、遠慮したい。
試した結果、私が一番良かったのはこの椅子。
安心してもたれる事ができ、ほっと一息つける。座り心地良し。
窪田謙二氏の作品。(氏が代表の木工房弓槻へはこちら


見た目不思議な形の椅子、動植物をモチーフにした椅子、
鮮やかなテキスタイルも楽しい、色・形・座り心地、
いずれをとっても自分にとってベストという椅子を見つけるのは、
思いのほか至難の業。というのは、寛ぐための椅子なのか、
仕事をするための椅子ななのか、用途によって異なる。
逸もいつも椅子に深々と腰掛けるわけではない。
だから、ほんのちょっと腰を下ろすのに使い勝手がいいのか、
長時間座っていてもいいのか、気になって仕方がない。
どれ一つとっても、椅子から受ける安定感が全く異なる。


  


毎日、仕事や家事を何とかこなし、細切れの物思いにふと眩暈を覚え、
思うように動かない体も、こんなミニトリップの時、
非日常の景色や建物の中に在る時、異なる景色と時間のただ中で、
自分が一瞬自由になったような心持ちになり、不思議な気持ちになる。
もちろん、そんな気持ちは長くは続かない。
でも、まるで自分が生まれる前にここに来たことがあるような錯覚や、
見たことがあるような調度を感じて、思い出し笑いをしたくなる。


    
  


突然気ままに訪れるデ・ジャ・ブを楽しみ、
物語の主人公のように、深々と深呼吸し、舞台に立つ。
そんな気持ちにさせられる、空気と景色がここにはある。
歴史を感じさせてくれる、それも大掛かりなものではない、
個人の山荘に、個人の趣味が生かされている場所に。


    
  


2階テラスからの景色、緑、俗世間を忘れさせてくれるような見晴らし、
庭で無心に遊ぶ小さな女の子。絵本から出てきたようなかわいらしさ。
その愛らしさに微笑むと同時に、この子が大人になって、私ぐらいの年齢になる頃、
私はとうにこの世にいない、その頃こういう山荘に遊びに来たことを、
幼いこの子は何で知るのだろう、アルバムで? 親の思い出話で?
そんな考えが一瞬頭を掠める。人の子を見ていてさえ、こうなのだ。
我ながら呆れる。

  


下っていけば、天王山悠遊の文字。振り返ってみれば、大山崎山荘。
昔、夏休みは入試の天王山、天下分け目の戦い等という言葉があった。
今時の受験生はそんな言葉を知っているのかどうか。
ここが、天王山だったか。歴史の街、大山崎
ただただ、静かな夏の一日、大人の社会見学の一日。
文月晦日(つごもり)の午後。

山荘の工事中に、文豪夏目漱石が山荘を訪れ、
隣接する宝積寺(通称宝寺)を眺めながら詠んだ句
「宝寺の隣に住んで桜哉」の句碑を後に、三度JR山崎駅へ戻る。

蘭花譜―天王山大山崎山荘

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天王山の宝石箱―「アサヒビール大山崎山荘美術館」誕生物語

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