Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

フェルメールを観に京都へ

フェルメールを聞くと、心ときめく人も要るかもしれない。
ときめくまでは行かないが、ああ、あのフェルメールねと思う私。
特に、今回は修復後の色が間近に見られるとあっていそいそと。
修復というと、特に有名なのはイタリアはシスティナ礼拝堂、
ミケランジェロの大作『最後の審判』が有名。
私が訪れた時、いつも足場が組まれていて、一部分しか見られなかった。
その複製は、徳島は大塚美術館で実物大で見られるけれど、
修復後の鮮やかな世界を、見に行く機会もないまま、
パスポートは期限切れ。結婚してから一度も海外には行っていない。
新婚旅行を最後に。



なので、美術館博物館は私にとっては異国への窓のような存在。
フェルメールでなくても、あの有名なフェルメールブルーでなくても、
蘇った青というものを間近に見たい、ただそれだけで出かけた今日。
17世紀のオランダにおける風俗画をじっくり見ようという高尚な気持ちではなく、
来てみれば・・・「ラブレター展?」という言葉が付いていたのに、
改めて気付かされて、何事ぞ?



絵画の中に描かれた手紙、書類、それだけに限らず、
身振りやしぐさ、家族のありよう、職業上のやりとり、そして、
忘れてはならない恋人同士のラブレター。
コミュニケーションを軸として、構成されていた展覧会。
ある意味上手に出来ていると言えば、そう。
フェルメールと抱き合わせで、それほど日本では知名度の高くない、
オランダ絵画を面白く見せるための工夫が為されているといってもいいか。



目的、意図を持ったフィルターを通してみると、知らなかった絵や世界も、
隠された意味がわかって面白い。そういう見せ方をする展覧会が増えてきた。
ただ、作品を羅列、来歴由来のみ、運が良ければ作者にまつわるエピソード付き。
そういう上から目線の展覧会ではなく、作品世界を身近に感じさせよう、
様々な鑑賞の仕方を知って貰おうという意欲に満ちた展示方法が増えてきた最近。
フェルメール知名度を持ってすれば、集客は見込めると踏んだか?
それでも、土曜日で待たずに見られるというのが不思議な感覚。



企画では寓意を探すもの、その他様々なイベントが用意されているらしい。
そういうものに参加してみたいが、残念ながら駆け足鑑賞。
フェルメールばかり見ていると、室内で描いた画家が色んなアイテム、小道具を、
使い回ししていたとわかる部分があるのだが、それはともかく、
軽やかなようで塗り重ねられている、不思議な色彩、筆遣いにしばし見入る。



私の知るオランダ絵画の背景、カルヴァン派の勤勉な国民が熱心に富を求めて、
貿易にいそしんで国力充実、富裕層は一部なれど、
庶民もそれなりに潤っていたとされるオランダ。
だからこそ、部屋に飾る絵の注文もあり、庶民がモデルとなる。
絵が身近にあり、写真代わりの肖像画の役目のみならず、
自らの財産、家族、ひいては自分自身を誇示するために描かれた。



オランダは17世紀のヨーロッパで最も識字率の高い国。
その中で文字のコミュニケーション、仕事が出来るというのは、
さすがと言うべきか。そこに注目した絵画の題材も。
勤勉が尊ばれた堅実な国民性と世界史の時間習った記憶。
『銀のスケート靴』にあるように、国民一人一人の心がけで、
自然相手に「国土」を守って来たお国柄。
そのイメージが強くて、オランダ絵画というと生活臭の強い、
良く言えば確かに家庭的というか実用的、
悪く言えば教訓的というか何というか、地味。



それでも観たくなるのはどうしてなんだろう。
決して華やかではなく、陰影の濃い現実的な絵画なのに、
思わずまじまじと見つめてしまい、その細部に気を取られ、
呆れ返るほどの写実の迫力に圧倒されるから?
おかしなことだけれど深い感動というよりも、
別の次元で心惹かれてしまう部分が大きい、オランダ絵画。



たまたま揃った(いや、揃えた)フェルメールの手紙関連の絵画。
それを鑑賞する観客へのラブレター的な存在の絵画展。
手紙を読む女性、書く女性、その描かれた姿に感情移入出来るほど、
今の日本に手紙文化が残っているとは言えないけれど、
ああ、だからこそこの企画が目を引くのかもしれないね。

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)


土曜日午前から午後に掛けての舞台裏。
大急ぎで京都まで、駆け足で「フェルメールからのラブレター展」鑑賞。
娘は自分の用事で忙しい。家人は病院通院日。午後から落ち合うものの、
躊躇している暇はない、自分が見たいと思ったものは自分から動かなければ、
見逃してしまう。今のうち、午後からの予定はあるけれど、急げば間に合う。
実際、家族で過ごす間が特に少ないこの夏、いつまでも親子3人の時間は続かない。
けれども、博物館や美術館を一緒に行ってくれる人間がいないのは、寂しい。
それにこだわると、どこにも行けない。だから自分一人で動く。
結局そうなる。
寂しいけれど、鑑賞は自由にできる。一長一短。



京都市美術館へは、京阪三条から歩くというのが中学生以来の定番。
なのに地下鉄が出来、今や阪急を使うとなると根底から京都体験が揺らいで、
(頭の中の地図が狂ってしまって)やや、不安定な状態で到着。
(実は四条からバスを乗り間違えて、思わぬ方向から歩いた)
予定より時間を食って遅く着いたと焦ったのだが、あにはからんや
待ち時間ゼロの立て札。嘘でしょう? いつも、30分1時間は待つんだよと唖然。


説明を聞きながら、ゆっくり回れる至福の時間。
オランダ絵画はそれほど好みではないんだよねと思いながらも、
結局は観ずに済ます訳にはいかないと、行ったり来たり。
されど、限られた時間内でとって返す。大急ぎ。
やはり昼食抜くべきだったか。
次の会場に、10分遅刻してしまった。
本日のサイエンスカフェは匂いの科学。
続きはまた、お楽しみに。

フェルメールの食卓 暮らしとレシピ

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フェルメールのカメラ―光と空間の謎を解く

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