Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

逸翁美術館と小林一三記念館 

本日、午前中は家人と午後からは娘と別々にダブルデートの一日。
まず、午前中から午後に掛けて、是非にと思っていた逸翁美術館へ。
茶道の師匠を偲ぶ会以来、ちょっとお茶に思いを馳せることが多くなった自分。
電車の中のつり広告を見て、「池田は遠い」の抵抗を覆すべく出掛けてみた。
「茶碗なんか」とけなされるかと恐る恐る家人を誘ったのだが、
鉄ちゃんの彼は阪急グループの偉大なる創始者には、一方ならぬ敬意を持ち、
小林一三記念館も見たいと、二つ返事で同道してくれることに。


  


しかし、リハビリ中の家人には少々きつい坂道、山登りといえば大袈裟だが、
坂の上にある美術館・記念館はちょっとしたハードル。
また、天気が良すぎて暑いのなんのって。
ひんやり静かな佇まいの中、小林氏の鑑識眼をもって収集せる器たち、
書画など名のある茶道具を鑑賞、そして、記念館の茶室を復元したお茶室で、
鑑賞後の足休めも兼ねて、しばし一服。


  


嬉しいことに畳に正座ではなく、椅子席を設けてくれているので、
双方傷めている足を気にすることなく、お手前を頂戴することが出来た。
夏らしいガラスの建水が透き通っていて涼を演出。
「朝露」のお菓子も平茶碗も、この季節ならでは。
こういう席に来ると、若い頃もっともっと勉強しておくのだったと悔やまれる。


  


そして、更に坂道をあがり小林一三記念館を駆け足で鑑賞。
ここは庭も美しく、鉄道ファンはもっと時間を掛けてみたい展示が一杯。
余裕があれば予約すれば豪華なお食事も頂けるレストランがあるのだが、
そういう機会は特別な時のために取っておこう。
今はただ、私邸の往時を偲んでそぞろ歩き。


  
  


手入れの行き届いた庭、茶室に向かう日陰、句碑や記念碑、そして、
当時はどれほど重厚でモダンで洒落た調度を備えた部屋だったのか。
庶民とはかけ離れた、時代の先駆者の住まいを垣間見る。
そして、家族との触れ合いや温もりが伝わる、その雰囲気を味わう。


  
  

与謝野晶子と小林一三

与謝野晶子と小林一三

外見、出入り口、門灯や室内灯、階段の手すりやそれぞれの部屋の作り、
どれをとっても古きよき時代の応用で斬新な息吹に溢れている。
ただただ若ければ「ふうん、昔の家って」で済ませてしまいそうだが、
「人生五十年」を超え半世紀を経た自分自身を振り返りつつ、
昭和を偲び、親の若かりし頃に思いを馳せ、
親世代よりも更に上で、日本の屋台骨となって活躍した人の
憩いの場を、何ともいえぬ感慨を込めて振り返る貴重な時間。


  
  


もちろん営業中のレストランで食事を楽しまれている方々もいらっしゃる1階。
どんな方がどんな集まり、記念で予約を入れて集われているのか、
そんなこともちらりと頭を掠める。近所、思い出の場所、特別な日の記念、
わざわざ都会の喧騒を離れ、それなりの相場のお食事を昼日中から頂ける、
そういう生活のゆとりを持ち、嗜みを心得ておられる方々とは・・・。
憧れるものの、なかなか自分の現実からは遠い。
自分如きにそぐわぬ世界を間近に見ている気分。


  
  


野球が好きだった小林氏、宝塚歌劇もその他の芸能活動も、
鉄道が延びる所に文化を育てようと、住宅地の開発からデパートまで、
ありとあらゆる事業に手を伸ばし、一大阪急帝国を築き上げた氏が、
戦後の日本の復興を目の当たりにすることなく亡くなったのは、残念。
どれほど「大大阪」の、日本の新しい時代に関わりたかったことだろう。


  
    


書斎、客間、愛する妻に対するのろけとも言える文章、写真、
源氏香の模様が入った女性の部屋らしい和室、
やわらかいピンクで統一された洋風のバスルーム。
上品な好みと思いやりに満ちた部屋のしつらえ、調度など、
ただただ、ほうっとため息。


  
    


しばし、外の暑さを忘れていた。相変わらず午後の日差しが照りつける中。
出てきたところが実は、邸宅に向かう正門にあたる場所。
まるで城門。釘隠しといい、どっしりとしたこの建築。
中は洋風の邸宅だったのに夫人の私室には和室もあった。
正式に客人を迎える小林一三記念館の表玄関、
雅俗山荘の門にも翁の日本人としての気概が感じられる。


  


大事な記念日の時、ここでゆっくりお食事しよう。
ここに来ても恥ずかしくない気後れしないよう、
志し高く、装いたおやかに。
そんなことを思いながら、小林一三記念館を後にする。



与謝野晶子と小林一三

与謝野晶子と小林一三