Festina Lente2

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娘と観た『快楽の園』

台風が来るはずだがいっこうに雨が降らないまま、何となく曇り空。
これでいいのかと思うくらい穏やかに一日が終わっていく。
長月に突入して、ますます気疲れも体力消耗も甚だしい。
書かなくてはならない書類、点検しなくてはならない書類、目白押し。
自分のものだけならいいが、人のものを見てあれこれ差配するのは気が引けるものだ。
時間ばかり食って、自分のペースで動けない。


それでなくても、この1週間、色々気詰まりなこと、
焦ったこと、思い通りにならないことが、
余りにも重なってうんざりしたせいか、生活リズムが滅茶苦茶。
家に帰ってもパソコンを開く余裕どころか、
腰を下ろして体を横にしたらもう動きたくないまま、朝を迎える。
そんな毎日が8月末から1週間続いた。
厄日の連続のような、そんな心境で仕事をこなした。


娘が8月最終週の月曜日に何気なく呟いた言葉が、この1週間を支配した感じ。
「去年の今頃は宿題が4分の3出来ていたのに、
今年は4分の1しかできていない」などという恐ろしい呟きを。
任せておいた自分が悪いのか、容量オーバーの課題がこなせなかったのか、
目標に向かって勉強することと、学校の宿題の山を片付けることは、
娘には並行してこなすことが出来ないものであったようだ。
というか、自分の(こだわりの)時間を大切にし過ぎる親に似たのだろう。
似て欲しくない所ばかり似てしまうのが、忌々しい。
しなければならないことに追われて、目の前の予定をこなすのに精一杯。


好きなだけ本や漫画を読み、録画した漫画を見、
世間ではあり得ないような、大人の生活様式
異なるのは自分のパソコンとケータイを持っていないことだけ。
今の年齢には不相応と、頑なに譲らず触らせていないとーちゃんかーちゃん。
自分たちがどれだけバーチャルなものに毒されているかわかっているだけに、
娘の思春期をリアルではなく非リアルなファンタジー寄りに持っていくわけにはいかない。
機械に助けられたリア充や、機械無くして得られない実体験であってはならない。
少なくとも今は、・・・と思っているのだが、いつまで持ちこたえることが出来るやら。


そんな娘も新学期が始まり、2日目。既に給食付きで6時間授業。
親にとっては昼食があるのはありがたいが、娘はいたく不満。
早く帰って好きなだけ撮りためた録画を見たいのだろう。
もう少し体を動かして、健全に生活できないものかと嘆かわしい。
保育園からプールに放り込んでいて良かった。
週1回は水泳教室で泳いでいる。
それさえも無くなれば、どうやって体力を維持するのだろうと、
外で遊ぶ環境のない娘を見て思う。昔子どもだった私は、
遊ばなくても薪割りや風呂焚きを手伝ったものだが。


大人に近づいて来た体型、肉付き、やたら醒めてきて、
親との距離を取りたがるようになってくる思春期前期。
もう、笑って写真に撮られるようなへまはしないと、
頑なな表情でカメラに収まる様子を見るに付け、
幼い頃の無邪気な笑顔が思い出されて仕方がない。
あと3週間もすれば、12才を迎える娘を前に、
かーちゃんは土曜の夜を寝くたれて過ごしている。
ダウン。本当に遅くまで起きていられない。

シンボルとしての樹木―ボッスを例として (叢書・ウニベルシタス)

シンボルとしての樹木―ボッスを例として (叢書・ウニベルシタス)


本日TV番組「美の巨人」で、ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』
一緒に見た所までは記憶があるのだが、殆どかーちゃん寝落ち。
娘はこの夏、高台寺に「百鬼夜行展」を観に行ったくらいだから、
海外の百鬼夜行に等しい、このとんでもない映像を見て、
どんな反応を示すだろうか、内心楽しんでいたかーちゃん。
これをプラド美術館に見に行ったのは、もう30年以上も前の話だ。
フェリペ2世はこの絵を寝室に飾っていたと言うが、
どんな気持ちで見ていたのか。理解できない。
もう少し心穏やかになる絵を飾ったら良かろうものを。


そんなことを考えていたのだが、娘はナレーターの声が気持ち悪い、
番組構成上の劇中劇で、この絵を見ていた男性が
絵の中に入って抜け出せなくなった、その設定を気味悪がっていた。
絵に見入る、逆に、魅入られる関係。
必要以上に没頭する、抜け出せなくなる。
それは、この手の世界にはよくあることだ。


それよりも、どこで覚えてきたのか。
七つの大罪」なるものを娘なりに知っていて、
「強欲と貪欲は同じか」などと質問してきたのには驚いた。
大食と暴食、傲慢はプライドだよね等とぶつぶつ言っている。
どうやら私が知らない、娘の好きな今風のファンタジーやSFもどきに、
その手の蘊蓄を凝らした話があるらしい。
漫画やアニメから昭和の流行歌、
平安時代の古典的知識をうろ覚えながら、
拾ってくるようになったのだから、それなりに興味が湧いたのか。


せっかくの名画を題材にした番組を土曜の夜に見ながら、
知的な会話が出来ればいいのだが、かーちゃんひたすら眠い。
長月の最初の土曜日は台風を迎える夜となり、
子どもの頃は恐ろしかった風雨の声も、ただの大雨といった感で、
うたた寝の子守歌代わりに取って代わった。
夜来風雨の声、さて、一夜明けて何とする?
・・・娘の弁当を2食分作ることを忘れてはならじ。

ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む

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