Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

折末を前にして 

お茶のお稽古。20年ぶりにお手前をする。何だか訳がわからないまま、
花月。はてさて、平手前なら出来るが、花月とは何だったか。
折末を見てから思い出した。折末という言葉さえ忘れていたが、
確かにこういうゲームをしながら、和やかにお茶を学んだことがあった。
先生は「100回すればわかるわよ」と言っていたらしいが、
それは「読むこと100遍、意自ずから通ず」をお稽古になぞらえたものか
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/recruit/kikaku/kyo/news13/n1302.html



長く習い続けてきた人たちは、お濃茶の花月。足捌きが難しい。
こちらは平手前さえ覚束ない。
しかしながら恐ろしいもので、手だけは勝手に袱紗を捌く。
順番など頭で考えるものではないらしく、体が覚えている。
置き柄杓、切り柄杓、引き柄杓、・・・何とか覚えていた。
あの頃は何度やっても順番を間違えて不安で、体と頭が一致しなかったのに。
それとも、最初にお手本でやって貰った上級者の花月で、
ささやかな記憶が蘇ったに過ぎないのか。



雪月花の模様も遠い記憶から蘇ってくる。
使い込まれた折末の和紙の柄。こすれて模様や色が薄い。
されど、かつての師が顔を覗かせたように感じる、折末を開くと。
これもまた年月を経た雪月花の竹の札の色合いが、
習い事に費やした若い頃を、
何も考えずに習っていたあの頃を思い出させる。



気付けば嗅覚障害の兆候著しい今日この頃。
かつてはむせ返るようにきつく感じたお濃茶の香りや、お薄の香りが
体に反応してこないのが辛い。
風呂手前で炭がないだけましか。
あの冬場の炭を置いたお手前、
炉を切った後は一酸化炭素中毒になりそうな(実際なりかけた)
きつい炭の匂いがしていたっけ。



そんなことを思い出しながら、お手前に参加している。
本来ならばきちんと予習復習をしてこなければならないのに、
偉い先生方、先輩後輩の中に混じってどうしてここにいるのか。
「明日は  のお稽古の日です、大丈夫ですね」というメールに、
抗いきれなかった私。ああ、優柔不断。
申し訳ない、恥ずかしい、穴があったら入りたい。
今、ここにこうしている、来てしまったことを悔やみつつ、
でも、居たいと思う矛盾した気持ち。



そう、決してお茶の世界は嫌いではないけれど・・・。
こんなことしている場合じゃないのだけれど、仕事があるのに。
抜けられないお付き合いをどうすればいいか、
強制ではなくても、これは困ったと思いながら、
それでも体が幾つもあれば、この場にいたいと思う自分。
ああ、欲張りな私を台風の名残りの風がなぶる。
曇天の下、お茶のお稽古の午後。
充実感と焦燥感。ない交ぜの午後。

お茶のある美しい暮らし ?心が豊かになる茶の湯の旅 tea journey? (ワニプラス)

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