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北京・故宮博物院展

北京・故宮博物院展。その名前に期待しすぎたか。
こんな風に銘打たれると、やはり。
「地上の天宮(てんきゅう) 北京・故宮博物院展」



清王朝の文物が殆ど。
今一つインパクトに欠けると感じたのは何故か。
日中国交正常化40年を記念してということだが、
その重みが感じられないのは、私が中国の歴史や文物に疎いから?
独身時代、あちらこちらにふらふら出かけていって、
海外の美術館や博物館を見て回った私だが、
唯一中国だけは、故宮は全く知らない。
台湾も中国も、故宮の美術館を全く知らない。
余りにも展示物が多すぎて、一日で見ることは叶わないと言われている。
(世界中、そんな美術館や博物館は多い)



ただし、最近は展示方法というものがかなり変化し、
各国、それなりに工夫してきている。
外国からの観光客にも配慮した鑑賞設備、内容説明。
子どもの目から見ても分かり易いような、ガイド。
それなりの体裁や、思い遣りが増えてきている昨今。
今回は急ごしらえといった感が強く、図録だけで精一杯。
会場の音声ガイドやそれ以外の説明まで、充分に手が回らなかったのか。



国宝級のものが含まれていたけれど、何だか展示の仕方が安易、
普段目にすることが出来ない物が展示されているのに、
何故こんな風に感じてしまうのだろう。どうして?
この素晴らしいはずの文物を目の前にして?
音声ガイドも説明が今一つで、これでは割が合わない、
この解説では満足できないと感じられた。
確かに場所としては本格的な美術館とは異なるものの、
この違和感は何なのか?
空間的には申し分ないはずなのに・・・。



鑑賞者の態度がデパートに来るおばちゃんといった感じで、
もう少しどうにかならんか?
このかまびすしさ、人の多さのせい? 
いや、混んでいる美術館でこんなにうるさい思いをしたことはない。
それぞれ感じることを口に出して大騒ぎしている団体のせい?
急に涼しくなりナフタリン臭い長袖を着ている人のせい?
良く言えば賑わっているのだろうが、こうもごちゃごちゃしていると、
落ち着いて見ることが出来ない、この展示。


それでも昔の映画『西太后』の洗礼を受けている私としては、
これがその食卓、食器か、肖像か、後宮生活かと、
それなりに興味深かったのだが、家人と娘の目にはどう映ったか。

真説 西太后

真説 西太后

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

  


あちらこちら旅行をしたものの、中国は南部の方だけで、
北部の方へは行ったことがない。
私が駆け足で回ったのは、「髪は長い友達」なんてCMが流行った後、
有名になった桂林をはじめ、石林・昆明・広州・香港など。
かなり昔の話。


中国との国交が正常化しても、なかなか近くて遠い国、中国。
漢字の国だと思っていたのに、中国の簡略字は読めない。
四半世紀昔の中国は、オリンピック後の今とはかなりかけ離れていた。
旅行中、ぎょっとすることも多かった。
景色を堪能することは出来たが、博物館や美術館を見ることは出来ず、
ツアーのため土産物店にばかり連れて行かれた。


中国は大きすぎてわからない国。広すぎて、でかすぎて、
日本人の認識では推し量れない部分が多すぎる。
それでも、清朝時代について高校時代の世界史では、
それなりに詳しく習った。ヌルハチホンタイジに始まり、
順治帝に続く、康熙帝雍正帝乾隆帝と難しい漢字を覚え、
テストに備えた記憶が今に至る。
そして、忘れてはならないのが西太后
宣統帝(溥儀)を迎えたのち清朝はその幕を閉じる。
江戸自体に匹敵するおよそ270年。


中国は東洋史という名称で歴史を学ばなかった世代にとっても、
覚えることが沢山あって、テスト勉強泣かせの国。
漢字であれこれ覚えることが多いと大変だった。
その苦労の思い出が強すぎたのか。
絢爛豪華な歴代の王朝の歴史と、いまだ古典の教科書に残る漢文。
(かつてのようにきちんと教えられる機会は減ってはいるが)
思想・哲学の根源と頭の中に埋め込まれたものと、
今回の展示内容がやや異なることに、どうして気付かなかったのか。
(ネットで予習したら鑑賞する楽しみが無くなるので、普段からしない)


最初ポスターを見た時、ずいぶんピンクの色が強いと思った。
女性像のイラストが前面出でている時に、気付くべきだった。
招待券が手に入り、久しぶりに神戸に出向けると思い、
内容を深く顧みなかったので、展示物を見て回るにつれて、
見たいのはこういう物ではなかったと、ちょっと期待はずれ。


西太后の不老術 (新潮選書)

西太后の不老術 (新潮選書)


普段目にすることの出来ない後宮の女性の生活? 確かに。
イスラムの歴史の中でもそう。ハーレムは。
むろん日本の大奥だって、そう。
いわば、今回の展示内容はぶっちゃけ分かり易く言えば、
大奥の生活の物品を扱っている感じ。


近代中国 七人の猛女たち―西太后から江青まで (Ribun books)

近代中国 七人の猛女たち―西太后から江青まで (Ribun books)


国交正常化40年の記念に、何故婦女子・後宮に焦点?
が当てられた展示なのか、私にはわからない。
そういうものに対する偏見・抵抗・違和感なのか、
ちょっと拍子抜けだったことは確か。
この時代のイメージはパール・バックの『大地』で固められている。
それから、『西太后』『ラスト・エンペラー』などで。
一番間近には、江青女史にまつわる中国の混乱と。
だから純粋に「わー、凄いねー」と見ることが出来なかったのか。


ラストエンペラー ディレクターズ・カット [DVD]

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自分の中の中国は、漢詩文の世界で固められている。
(格調高いものばかりではなく、三国志水滸伝も好きだけれど)
諸子百家に執着するわけではないが、
個人的には展示内容が清朝中心だったことが想定外。
中国の美人画は私の好みではなく、それがずらりと並べられても。
(西洋の美人画も別にそれほど興味はないが、個性的な肖像画は別)
こうしてみると、私の鑑賞態度そのものが、
西洋に毒されているのか、近隣の国に理解が乏しいのか、
どう受け止めていいものやら。


改めて自分の中のイメージ、紫禁城の歴史、
明と清との時代に対して知識が乏しいことを実感。更に、
現代中国に対するイメージが良くないことに気付かされる。
美化された古代中国。(かなり残忍な戦争と政治の時代だったにもかかわらず)
そういう物に支配されていることに気付かされる。
・・・自分にも、展示内容にもがっくり。


    
  


お洒落な神戸の裏通り、ランチタイムのイタリアン。
ロバート・サブダ仕掛け絵本に癒されながら、
日常に頭を切り換える。
自分の見たかった知りたかった中国とは違っていた、
それだけでこんなに疲れる、切り替えの出来ない頭の固さに、
自分自身がっくりしながら。