Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

高瀬川二条園にて

(写真は大きくなります)

仕事が一段落したので少し遠出をすることに。
京都に出掛けるのは、それなりに遠出の部類。
何故なら、片道2時間以上掛かる。
極端な言い方をすれば、新幹線利用で岡山や名古屋までと同じ所要時間。
繰り返すが、京都に出向くのはなかなか一大作業ではある。


関西に、それも大阪に住んでいるから、CMの三都物語じゃないが、
京都や神戸が近かろうと思う人は多い。
しかし、車で移動するのではなく、公共交通機関
電車利用となるとこれまた結構時間が掛かる。
お彼岸の休み、車で移動は渋滞の恐れが高く、やむなく回避。


    
  


というわけで、大人しく電車で移動したその先は、京阪三条
何ということはない、と思う方も多いでしょう。何故京阪?
そう、駅から1キロも歩かない目的地。そこではささやかに?
高瀬川舟祭り」なるものが行われていた。鴨川沿いに平行して、
走る細い道路沿い、あっという間に歴史の舞台の高瀬川


    
    

今日の町に地下鉄が出来、京阪が出町柳まで延びて以来、
京阪三条で降りることが滅多に無くなった今日この頃。
私の心の中に生きているのは東山三条から浜大津までの路面電車
本日は逆方向に歩いて鴨川沿いを道一本入ったところ。
森鴎外の小説に名高い『高瀬舟』の流れていた高瀬川沿いを歩く。


    
    


春に来れば桜の名所として名高いこの場所、今日は台風も去り、
一気に気温も下がって肌寒いくらいの秋空のもと。
残念ながら固定され動くことは無いけれど、昔の雰囲気を少しでもと
再現された高瀬舟の景色。
舞妓さんのサービスしてくれるお茶席で一服。


    
  


昨年岸和田の五風荘で知ったこちら、がんこ高瀬川二条苑は、
単なる食事どころではない。知る人ぞ知る高瀬川が流れる名園。
豪商角倉了以別邸跡の名残りをとどめるお屋敷。
ここに400年も前に作られた高瀬川源流庭苑がある。
それを観るのが一つの目的でもあった。


    
  


文豪の名作の舞台、高瀬川。そして、豪商の別邸から、
明治の元勲山県有朋の別邸「第二無恕W庵」となり、
第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸となり・・・。
そういう変遷を経て今、初秋の爽やかな庭は眼前にある。


    
  


五風荘よりも庭園は狭いが、より起伏に富み何よりも台風の影響で、
水量豊かに庭内を勢いよく流れる高瀬川が、もみじの樹木とあいまって、
何とも言えぬ風情を醸し出す。個性豊かな幾つもの燈籠、
枯れ木の倒木としか思えぬ樹齢200年を越す紅梅の古木。


    
  


予約しておけば奥の間に入ることも出来たのだが、そこまで気が回らず、
とりあえず食事だけは済ませることが出来た。
奥のシャガールのポスターを眺めつつ、高瀬舟弁当を食す。
奥の間に入られなかったのは大勢の予約客が入っていた模様。
団体さんも来られているみたいで、まあ、個人客としては仕方がないか。


    
  


庭に出入りするフロントには、昔懐かしいマッチの大箱、
うさぎ年にちなんだ絵、お月見仕様の飾り付け、
秋をそこここに感じさせる演出が為されており、
待合で時間を潰すのも一興の風情。


    
  


食後、午後の日差しで趣が変わった庭を再度眺める。
折しも結婚式を終えて写真と撮る花嫁花婿。
国際結婚らしくお相手は1m90cmを超える方で、
あの袴紋付は特注でも誂えるのは大変だったろう。
そんな下世話なことを思いつつ、庭では普段よりも多い観光客。
子供たちはスタンプラリーならぬ庭園に隠された文字を探す。
答はもちろん「たかせがわ」


    
  


外では再び舞妓さん達が、固定された動かぬ高瀬舟でモデルになっている。
確かにちょっと絵になる景色ではあるなあ。


    
  


川を利用して様々な品物を運んだ高瀬川。今はちょっとした地元のお祭り。
それにしてもメジャーではないせいか、余り観光客はいない。
本当に地元の子ども達が集まっている、そんな感じ。
大々的な催しのイメージが大きい京都の祭りと比べて、
余りにもささやかな賑わいであることが、私たちには好ましい。

    
  

高瀬舟 (集英社文庫)

高瀬舟 (集英社文庫)

高瀬川

高瀬川