Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

絵巻展(逸翁美術館)

ぬらりひょんの孫』を愛読し、(かーちゃんもファンにさせ)
高台寺の「百鬼夜行展」を見に行った娘、
今度は逸翁美術館で「絵巻 大江山酒呑童子 芦引絵の世界」展に興味。
一度はこの端正な佇まいの美術館に娘を連れてきたかったから、
午後から軽いドライブで出掛けることに。
今日はコンサートが無いので駐車場も空いている。
チケットで池田文庫も見られるということだが、時間的に難しい。
期間中OKということなので次回の楽しみに。
今日のメインは酒呑童子中心で。



大江山説か、伊吹山説か。
その住処の諸説別れるところ、絵巻物そのものの描かれ方も異なる。
美少年に化けている鬼か、壮年男性で描かれた鬼か、
源頼光と四天王の描かれ方も、それぞれ異なる別系統の絵巻。
比較しながら解説されているので、娘にもわかりやすかったよう。
それに、陰陽師安倍清明が出てきていたり、
四天王の中に金太郎さんこと坂田の金時や、
渡辺の綱など、昔話や伝説に出てくる人にも興味を示す。



そのほか展示されている様々な絵巻物、
蒙古襲来図は教科書の絵にそっくりだ等と、
知識が増えてきて比較する引き出しが増えてきた娘、
新しいものを見ても、それなりに楽しめるようになってきた。
なかなかに頼もしい。


お茶室は時間が遅いので楽しむ余裕が無かったが、
展示室の茶道具はしっかり秋のしつらえ、
洋物の皿を菓子鉢・菓子皿にしたものなど、
小林逸翁の茶会を再現したお道具類に目は釘付け。
中でも、利休が手づから削った茶杓など(箱は別)、
さりげなく凄いものが展示されていてびっくり。
娘に茶道のたしなみは無いが、
音符の模様の棗の絵葉書がかわいいと手に取る辺り、
思わずにんまりしてしまうかーちゃん。


今は何かわからなくても、今のうち見ておけばどこか記憶に残る。
いつかは心から湧き出る、そういう知識や教養を娘に残しておきたい。
思い出の花束は枯れても心に残る、
かつての日々を思い出させる香りとなって、心の中に薫るだろう。
棗の模様もいつの日か、思い出のメロディを奏でるだろう。
自分が何も知らずに大きくなってしまった分、
意図的に、娘には何がしかを見聞きし、
覚えて貰いたいと願う、貪欲なかーちゃん。

酒呑童子の首

酒呑童子の首

酒呑童子 (京の絵本)

酒呑童子 (京の絵本)


古典の世界では有名な酒呑童子
子供の頃、御伽草子の世界を知る前に漫画で知ったシュテンドウジ。
当時は悪魔も天使もシュテンドウジもサイボーグも何もかも、
漫画の世界で扱われていて、恋愛至上主義の少女漫画は、
スポ根ものから歴史ものやファンタジー、今風に言うならBLもの、
SFはもちろん、少女漫画と少年漫画の垣根があいまいになってきた時代。


酒呑童子を扱った漫画はスケールの大きなSF。
今で言うと、臨床心理学的な側面や輪廻転生を扱った仏教的な部分、
親子の愛情・友情をクローズアップした内容など、盛り沢山。
連載当時も単行本になってから大人買いした後も、好きな作品の一つ。
少年漫画の迫力ある絵柄とは裏腹に、抱えていたテーマは繊細だった。
昔の人が絵巻物を見て楽しみ、想像力を膨らませたように、
私たちは自分の知らない世界を文字からだけではなく、絵から味わう。


絵心も無く、物語だけを一心に追い求めていた子供の頃。
ストーリーさえあれば満足していたあの頃。
でも、今この年になって改めて物事を見てみると、
様々なものが重ね合わさって、その輻輳する世界を楽しむ喜びがわかる。
ただ、それだけのシンプルなものに見える、その向こうに実は、
透明な尾ひれを付けた重なり合う歴史の重み、様々な解釈、出来事、
関連する事柄が透けて見えて、楽しめる。
目の前のこと以上に咀嚼する楽しみが増える、奥深い鑑賞の世界。


そういう楽しみを、早くから知って欲しい。
今だけの、まっさらな今だからこそ感じる感性で受け止めるものと、
これから重ね合わせていく広がりの出入り口を、
自分だけの世界を、受け継がれてきた伝統の世界と重ね合わせて、
時に素直に受け入れ、時に比較・批判し、受け止めることの出来る、
そんな楽しみの入り口に立って欲しいと、切に願うかーちゃん。
子育ては同志を育てる楽しみでもある、かーちゃん。
大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天橋立
いにしえの人も慈しんで娘を育て上げたであろう。
この古歌を思い出した、酒呑童子大江山であることよ。

おとぎ草子 (岩波少年文庫)

おとぎ草子 (岩波少年文庫)

手天童子 (1) (講談社漫画文庫)

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