Festina Lente2

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お弁当箱の蓋

娘のぷっぷるちゃんの弁当箱の蓋が割れてしまった。
縁起でもない。真ん中から真っ二つ。
プラスチックの蓋が、洗い物中に。
それでなくてもナーバスになりがちなこの時期、
娘が使い慣れた絵柄の弁当箱に、
親としては出来るだけ好物を詰めて持たせて、
それだけが休日の親心と思ってきたのに。


長年使ってきたから、割れても仕方のない時期とは思いつつ、
毎日使っていたわけではないのに、こんなに簡単に壊れてしまうもの?
2段重ねのお弁当箱は、音楽教室で習い事をしていた時の記念で、
りんごのぷっぷるちゃんとその仲間の果物が描かれている。
子供用のお弁当箱と思いきや、一度貸して貰ったことがあるのだが、
結構入る入る、かーちゃんでも十分じゃないかと思える量。
6年生の娘が使っていても、大人が使っても大丈夫。


子どもの頃のアルマイトの弁当箱は、扱いにくい代物だった。
ほんの少しの汁物もこぼれやすく、漏れやすい。
当時はまだサランラップを日常的に使っているわけではなく、
真っ黒な色彩の強い、かわいくも何ともない昔風のおかず、
残り物を詰めるだけのお弁当は、中学生としては
人前で開くのが恥ずかしい、そんな気持ちにさえなる代物だった。
お弁当を作って貰えたのはじつは贅沢なことだったのに、
幼稚園から変わらぬ弁当箱を中学生になっても使っている、
そのことも恥ずかしかった。


引っ越して転校、給食のある中学校生活が、
暖かい物が食べられる昼休みが、どれほど嬉しかったかわからない。
その後、高校時代も弁当生活だったはずなのだが、
何を食べていたのか、まったく記憶にない。思い出せない。
たまに弁当箱を洗い忘れて、朝にあたふたしたのを覚えているくらいで、
何を詰めて貰い、何を食べたのか、全く覚えていない。
いつか私の娘もそうなってしまうのだろうか。


家にはわざわざ買い求めたわけではない、子供用のお弁当箱が沢山。
貰いもの、景品、おまけ、密閉容器はいつの間にか増え、
何でも小分けに仕舞っておける便利な時代。冷凍食品も豊富。
だから昔と違って、お弁当を作るのには時間も手間も掛からない。
こだわりの弁当、血道を上げて作るキャラ弁でもない、
ごくごく普通のおかずが詰まっている、彩りだけ多少気にしたお弁当。
かわいい二段重ね、なかなか話題が合わなくなって苦労する娘が、
「美味しかったよ」と言ってくれることだけが、かーちゃんの安心。
ささやかな喜びだったのだけれど。


とーちゃんの黒い蓋のシンプルな密閉容器、
ドラえもん柄の青い蓋の一段、サンドイッチが入る籠型、
キャラクターなしのシンプルな二段重ねは、かーちゃんの。
もっと小さな二段重ねはいつの間にか蓋がなくなったり、
おかずを小分けしているうちに間違ってチン、レンジで壊れたり。
いつの間にか残っているのはいつも使っているものばかり。
そのせいか、いつ壊れてもおかしくなかった外蓋が壊れてしまった。

お弁当箱クロニクル

お弁当箱クロニクル


縁起でもない。この年末に。
いやいや、娘の身に何かある代わりに、壊れてくれたのだ。
「身代わり」になったのだと思おう。
いつも使っているものだから、持ち主を守ってくれたのだと。
それにしてもやるせない。あとの部分はどこも壊れていないのに、
外蓋一枚で、使い勝手が悪くなる。というか、蓋が出来ない。
規格品なら蓋だけ買い求めるということは出来ないものか。
もちろん、「ぷっぷるちゃん」とは会えなくなってしまうけれど。


弁当箱の蓋一つで、千々に思い乱れている自分がおかしい。
おかしいとはわかっているけれど、哀しい。
今まで使い慣れてきたものが、あえなく真っ二つに割れてしまった、
その潔い壊れ方にも涙が出る。悲しくなる。
ものは人間よりも潔くこの世を去るのだなと。
いつもよりもウジウジしているこの時期の私。


弁当箱一つに、自分の母としての思い出が込められていたのだと、
ぷっぷるちゃんの蓋を開けてお昼を食べる娘の喜ぶ顔を、
想像しながら朝を過ごしていたことを、
改めて思い起こして涙してしまう。
何とも、大げさである事よ。
何とこだわって来た事よ。


さて、本当に新しい代わりになる上蓋だけ手に入らないものか。

自炊男子 「人生で大切なこと」が見つかる物語

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まるべん。楽にできる、毎日つくれる、丸いお弁当。

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