Festina Lente2

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元同僚の誕生日

12月12日 この日になると思い出す元同僚が居る。
今日は彼の誕生日なのだ。
新任の頃、1年先輩の彼とペアを組んで仕事をした。
もちろんぺーぺーの私はアシスタント的立場ではあるが、
自分の専門領域に関してはそれぞれ互角である。
彼は理系、私は文系。まあ、バランス的には良かったのか・・・?


理系の人々

理系の人々


当時の彼から観た私の第一印象は、どんなものだったのだだろうか?
今も彼の第一印象は、都会の山猿、背の低いヤクザ、という恐ろしげなものだった。
とにかく大阪弁でもとりわけ柄の悪い方言で喋りまくるので、
最初は冗談で喋っているのか、指示を飛ばしているのか、会議をしているのか、
何なんだろうこの人? と思っていたが、「全て地でしゃべくっていた」ようで、
こういう個性も世の中ではありなのかと思って、就職先の常識を疑ったものだった。


理系くんのトリセツ

理系くんのトリセツ


関西で生まれ育っても、東北人宮城県人2世の私は、純粋な大阪弁は苦手。
家の中では話さない、自分でも喋らない。アイデンティティの中で、
大阪弁は便宜上使うものであって、ネィティブに使えるはずだがブレーキが掛かる、
商売人言葉、営業上のもの、威嚇、脅し、なだめすかし、ごまかし、お愛想、
そういうもの以外の何ものでもなかったと言っていい。
若くて世間知らずの私にとっては、方言は使い勝手の悪い代物だった。


かんさい絵ことば辞典

かんさい絵ことば辞典


最近は大阪弁の方言の本が話題になっているらしいが、
かつて田辺聖子が紹介したような船場の商人言葉や、
大大阪と言われていた大阪の上流階級のやんごとなき方々が使ったという、
そういう大阪弁とは一線を画した、とんでもないガラの悪い大阪弁
芸人たちが変な使い方をしたおかげで全国的に忌み嫌われる大阪弁
そういうものに囲まれて毎日を過ごすことになった私の神経は、
外国語を話しているわけでもないのに、疲労困憊。


大阪弁ちゃらんぽらん (中公文庫)

大阪弁ちゃらんぽらん (中公文庫)


彼には彼なりの優しさもあっただろうが、私に気づく余裕もなく、
仕事の初手というもの、初めての経験、慣れるまでの期間、
お互い手さぐりで何かを作り上げていかなくてはならないその時期。
ともに余裕というものがなく、思いやりも何もあったもんではない。
日々こなさなければならない書類と、会わなくてはならない、
会話しなくてはならない人数の多さ、ひたすら目の前のことを捌くことに追われて、
殺伐とした気分の中に、真面目なのか、冗談なのか、からかっているのか、
真意を測りかねる乱暴な言葉の飛び交う世界で、
ただただ、自分を保持することが難しかった新人時代。


大阪弁おもしろ草子 (講談社現代新書 (786))

大阪弁おもしろ草子 (講談社現代新書 (786))


彼は大きなアルマイトの弁当箱にぎっしり白米を詰め込み、
申し訳程度のほんの少しのおかずで、ガツガツかき込む昼食が常。
母親が用意してくれるという弁当箱の大きさと、2種類しかないおかずと、
時々別容器に詰められた果物がかわいらしく、
色黒の山猿がかぶりつかずに箸を使っている珍しさ、そんな印象さえ覚えて、
(失礼極まりない表現で申し訳ないが)
これが男性のバイタリティというものなのかどうか、測りかねていた。


大衆文学論 (講談社文芸文庫)

大衆文学論 (講談社文芸文庫)


野外活動のボランティアで大学生時代、男子学生女子学生、
個性豊かでたくましい仲間を見てきたが、こういうタイプはいなかった。
そして、その色黒の小さい山猿は精力的に乱暴に仕事をし、
食後や仕事の合間に文庫本を取り出して読む。
殆どが推理小説で、たまにSFもあったようだが、ほぼ推理物、
サスペンスもの一辺倒だったにもかかわらず、
彼の言葉忘れられないのはなぜか。


日本文学の百年 もう一つの海流

日本文学の百年 もう一つの海流


一つは、なかなか強烈な弁当があまりにも印象的だったから。
母親の手作りお弁当はある日、ご母堂は機嫌が悪かったのか、
よほど忙しかったのか、おかずが無かったのか、とにかく
弁当包みに缶詰が放り込まれていたこと、蓋を開けたら一列に板かまぼこが一本分。
唖然とした彼の顔が忘れられない。
もう一つは、彼の好きな作家の一人に尾崎秀樹(おざきほっき)が居たから。
推理物も好きだが大衆文学も好きだという彼は、尾崎秀樹と彼の兄、
ゾルゲ事件で有名な尾崎秀実の話におよび、歴史もので盛り上がったからだ。



バリバリ理系でとっつきにくい色黒の強烈な大阪弁の彼は、
その荒くたい言動と容貌からはうかがえぬ、現代歴史も好きな、
(彼曰く、推理物と変わらぬ面白さだということ)そういう一面がわかって以来。
その彼の誕生日が12月12日だった。
そして、30を迎えるころにお見合いをし、その語の話をいろいろ聞かされ、
結婚、女の子の父親となり、にやにや笑いながら多少穏やかになった方言をしゃべる、
やくざなアンちゃんから子煩悩なオッチャンに変身していった。



部署や担当が変わってもかれこれ9年間一緒に仕事をし、ともに転勤。
一昨年再会した時は、別人のように痩せ衰えて病気でもしたのかと思ったが、
健康のためにダイエットしたのだという。確かに色黒で小太りではあったが、
この萎みようは何なんだろう? これが老いるということか?
逆に私は高校時代よりも痩せていた就職当時より、20キロ以上もも太り…、
彼は彼で内心呆れ果てた思いで眺めていたことだろうが。



弁当箱、就職当時、右も左もわからずただただ必死だったあの頃、
今日12月12日。脈絡もなく思い出が湧き上がる。
そんな仕事の合間、寒さが迫る暮れの師走のとある日。
12月、12のぞろ目の日。

上機嫌の才能

上機嫌の才能