Festina Lente2

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渡船に乗って

家人は娘と私の予定が空けば、一泊で出かけようと計画してくれた。
娘の記憶にはない、私たちの四国、徳島の想い出の地。
鳴門の海は、淡路島の向こうから招く。
憂いよりも未来への希望が大きかった時のことを思い出させる。
心のさざ波はいとも簡単に自然の波に押し戻されてしまう。
そう、そんな気がする。


    

    

  


ドライブ、青空、風、花の香り、まだ緑萌え出ずるには早いけれど、
肺の奥まで新しい空気が入ってくるような、そんな時間。
仕事という名の徒労、徒労という名の失望、失望という名の不運、
何もかも都合良く行かないのは世の常とわかっていても、
何の見返りもなく期待もなく当てもなく、動き続けることは出来ない。
世俗的に「生活を確保」「自尊心を守る」あれやこれや。


    

    

    

  


明石大橋を超え淡路島。ドライブインの土産物。
かわいい雑貨、果物、海産物。地ビールに地酒。
前回来た時は雨だったが、今日は晴れ渡って気持ちがいい。
鳴門大橋を渡ってあっという間に徳島、鳴門へ。
長距離バスで見慣れた景色。懐かしい道、店、食事、界隈。
記憶と想い出が考査する景色を辿りながら、あちらこちら。


    

   


渡船。市が運営する無料の交通機関。娘は目を丸くする。
船に自転車を載せて行ったり来たり、庶民の足。
私もそうだった。わずかな期間、社会人院生の学生生活。
海はいつでも毎日の生活の中にある。波と潮風がいつも側にあった。


    

    

      


脳味噌に思考専用の筋肉不足、論文作成に途方に暮れる、
パソコンもフリーズずる、データが飛ぶ。すったもんだ。
そんなあの頃の想い出も、潮風に吹き飛ばされ、波しぶきに消えていく。
船着き場で先回りして待っているはずの家人は、あれ?
道に迷ったな、さては。


    

    

    


この渡船に乗って生活していた頃、娘と乗るなんて思っても見なかった。
生まれているどころか、結婚もしていなかった。家人と出会う前の話。
未来は全く何も見えない、予想も付かない。
あれから15年、私はこの春中学生になる娘と家人と共に、船に揺られ、
小鳴門橋を眺めている。太陽の光を受けている。風を吸い込んでいる。
転地療養にも似た、わずか10分足らずの夢のような鳴門の海の上。


    

    

    

  

徳島・淡路と鳴門海峡 (街道の日本史)

徳島・淡路と鳴門海峡 (街道の日本史)