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旧西尾家住宅の離れ

(昨日訪れた、旧西尾家住宅の離れの記事。
 どうも写真が上手くアップできない・・・。)


刻々と時間は過ぎていく。夕日に照らされた庭。
一つ一つ曰く付きの石灯籠。名所旧跡のものを真似て誂えた特注品。
(名物灯籠の写しというものらしい。写真は一休型とか)
茶室も東屋も簡素ではあるが、その簡素さが贅を尽くした居場所。
客を導く路地も周囲の植え込みも、何もかも好事家の興味を引き、
武士の世ならねど対面で話し込むにはもってこいの密室。
阪神間モダニズムを支えた文人たちが集うには格好の場所だったことだろう。


    


案の定、ボランティアの説明の中に小林一三との交流もあったとのこと。
それはそうだろう。阪急電鉄の生みの親、この辺り一帯の開発に携わった
関西経済界の立役者は、無類の茶好き。
逸翁と言われた小林氏や財界人・文人を招いた茶会をよく開いた。
モダニズム、ハイカラな当時にあって、大人のお付き合い・たしなみは、
日本文化の茶の湯の伝統にのっとった形で為されていたのだろう。


      


庭には隠れた名産、吹田慈姑(くわい)の植えられた場所。
牧野富太郎の温室跡など興味深いものがあった。
茶道と同時に当時の富裕層がが凝っていたのは蘭の栽培。
大東亜共栄圏ではないが、珍しい南国の花々を咲かせて披露する、
それも楽しみの一つだったのだろう。


      

  


そして著名な建築家武田五一が和洋折衷で建てたという離れ。
昔読んだ小説の中の部屋、憧れた洋室のイメージがそのまま残っているよう。
あいにく早い日暮れのせいで、部屋部屋のステンドグラスの輝きを存分に楽しめず。
こんなに見応えのある場所ならば、もっと早くに出かけてきていれば良かった。
(もっともプチ鬱に落ち込んでいる時は、そうそう自分から動けないのだ)
綺麗なもの、興味を引くものを見たり聞いたりしているうちに、
気分が盛り上がってくるのだが、現実の生活はどよんと気落ちさせるものばかり。


      

  


このような家屋・建築、名士の交流華やかなりし時代に生まれて、
恵まれた生活を送ってみたかったなどと儚い妄想に浸るひととき。
公の歴史のど真ん中ではなくても、無数の庶民の、その一つランクが上の、
そのまたもう少し贅沢な層の、そして国家を動かす影響力のある層の、
複雑に入り組んだ躍動的な時代の隙間を垣間見るのが楽しい。
ルーティンワークの中で神経をすり減らして、怠惰になっていく自分と、
だんだん新しいものや情報に付いていけなくなるものぐさに、
我ながらうんざりしている日々。
現実に蝕まれている感覚ばかりが募る毎日、寸刻なれどタイムスリップは楽しい。


      

    


ビリヤード、ガラス細工、ゆったり身を沈めるソファ、暖炉や本棚、
猟銃やちょっとした武具。離れは大人になった男の子秘密基地めいた感じ。
女性的な雰囲気よりも、男性たちだけの倶楽部を連想させる佇まい。
まあそれも、離れそのものが隠れ家的要素を持てば尚更か。
思索に耽ると言っては気晴らしにキューを持ち、
お気に入りのワインなど取り揃え、グラスを傾けては歓談。
そんな生活が見て取れる、贅を尽くした離れ。


      

    

「ますます栄えますように」で、マスの中にマス。
随分モダンなデザインに見えたが、根拠は単純な願掛けからか?
縁起担ぎか? 家紋に絡ませたのか。
あれやこれやと写真を載せればきりがない。
詳しい解説や写真が載っているのはこちら。
吹田市博物館の旧西尾家住宅のページ
もしくは吹田市観光WEBの旧西尾家
こちらはあっさり見ることが出来ます。旧仙洞御料庄屋 旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)


短時間駆け足だったが、思いのほかいいものを見ることが出来て満足。
体が動いているようで、これはこれで現実逃避の一つとわかっていながらも、
ほんの少しばかり気持ちが軽くなった。見学というのは歩くからかな?
如月もあと10日足らず。

求道学舎再生―集合住宅に甦った武田五一の大正建築

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花と恋して―牧野富太郎伝

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