Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

10日ぶりの職場

土日も含めて10日間、現実世界というか、娑婆を忘れてというと大げさ、
しかし、年度末と来年度の予定がジェットコースターから落っこちた気分。
最も望んでいないコースをしかれて歩かされているのは、
心理的な落ち込みが酷くてインフルエンザ、長引いたのかも。
単に不摂生な生活のせいばかりではないと思う。


仕事を休んで有意義に使えるはずの期間を、ただただウィルスとの戦いに消費、
ゆっくり休んでいいはずの時間を、結婚式、勉強会。
同い年の同僚は娘さんと二人でさっくりとイタリア旅行を楽しんできたというのに、
この雲泥の差は何だとぼやきながらの、久しぶりの職場。
雲行き怪しい来年度人事のお陰で、私は歩く地雷の気分。


スキマスイッチ。いやいや隙間仕事が膨大すぎる。
「誰もやる人がいないから」のひと言で、放り込まれるこの世界。
資格があれば体面は保てる。実質は?
自分のやりたいことはあるが、それを具体的な形にするのは?
またゼロから企画で形にするのか、前任者の仕事踏襲するのか、
どこまで行ったら「職域を広げる」というキーワードのもと、
丸投げ引き継ぎの波に晒されなくて済むのだろう。


そんな思いがどんどん押し寄せてきて、マイナーにならざるを得ない。
自分が少々暗くなっても、それは自分のせいばかりじゃないのは
嬉しいような哀しいような。
こんな立場に立たされているのが、自虐的だと思えてならない。
いつまでもチャレンジできるのはいいことだと、それはそうかも。
チャレンジと取るか、丸投げ部署に放り込まれたと見るか、
能力があるからと見るか、誰もしないからと見るか。


勿論、このご時世、どんどんリストラされるから、
一人二役は当たり前だと思うけれど、
給料も何も変わらないのに、常に二人分の仕事が回る。
この体制の中で、のうのうと一人分の仕事しかせずにいる、
それってどうなんよと叫びたくなるの抑えきれない気持ちで、
リビングデッドさながらに仕事を始める。
やらなくてはならないことはある。
しかし、しないで放り投げることも出来る。
最善の形にしたいと思うと自分の首を絞める。


だんだん、押しつけられ仕事、望んだ場所ではなくて、
「できるから」「わかるから」で使い回しにばかりされていると、
自分でモチベーションが保てなくなる。何度もねじを巻き直し、
倒れて後止むではなく、病んでインフルエンザ。
しばらく無いほどのけだるさを何とか乗り越えてきてみれば、
ただただ、一人抜けようが二人抜けようが、どうってこと無い世界が待っている。
組織の人間であるということは、ひたすら哀しく空しい。

仕事は楽しいかね?

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仕事と幸福、そして人生について

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