Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

綿業会館 その1

小学校の社会の時間に習った。大阪は軽工業中心に発展。
軽って何? 繊維関係のことだと聞いてびっくりしたころが懐かしい。
大大阪と言われた時代、太っ腹な庶民によって建てられたビルは、
再建された大阪城天守閣よりも巨額の費用を要したそうな。
その昔の栄光をとどめるこの建物は、戦後進駐軍によって徴収されたため、
綿業倶楽部は活動を停止せざるを得ない期間があった。
本日は初めて入るこのビルディング。まずは外側の夜景から。
重厚な石造りの概観はライトアップされていて、こんな感じ。
(写真はすべて大きくなります)
昼間の外側の景色を見たい方はこちらから→綿業会館


    

    

  


綿業会館 1931(昭和6)年 父の生まれた年に建てられたわけか・・・。
もちろん重要文化財 設計 : 渡辺節設計事務所村野藤吾(設計主任)
施工 : 清水組  大阪市中央区備後町2-5-8
外観からはわからないが、内部の装飾は一部屋ごとに違う豪華絢爛なもの。
歴史的建造物は、いかに異国の建築様式を熱心に学び取り入れたか。
先人の追いつけ追い越せ精神が読み取れる、大胆さと細やかさに満ちている。


    

    

  

中を入るとひときわ大きなシャンデリアが目に入る。
あの像の人は誰かな? 東洋紡績の専務だった岡常夫氏かな。
左右対称のルネサンス様式で作られた広間、入って右手は食堂だった場所。
当時としては珍しいダスターシュートに、ワイヤー入りのガラスで戦火を免れ、
堅牢さを誇った質実剛健な建築物。その天井の高さに驚かされる。
本当に異国に来たみたい。


    

    

  


今では文化果つる大阪、間に合わせの入れ物に何でも詰め込んでおけ行政、
先見の明を持ってスペースとゆとりを持って作られたはずの中央図書館は、
つぶされてしまった児童図書館の資料で埋め尽くされ、企画展示もままならない。
企業も太っ腹になれず、目先の利益にはしって損失補填ばかり汲々とし、
公約などどこ吹く風で、教育上の貧富の差が拡大され、福祉が吹き飛ばされた今。
この豪華な施設はどのように維持されているのだろうと、不思議でならない。
倶楽部会費と業界人の篤志によってまかなっているのであろうか。


    

    

  


金儲けにばかり走らず、優雅に「知に遊ぶ」ことを知っていた紳士たちの集う場所。
各倶楽部の面々はここでどんな風に会食し、大阪の未来を論じていたのだろう。
大正から昭和にかけて活躍した明治維新世代の2代目・3代目たちは、
どんな風に未来を見つめていたのだろう、戦前戦後。
その時を刻んできた時計を見つめながら、ふと、考える。
ミューラル・デコレーションの装飾天井、透かし彫りのガラス窓の1階食堂。


      

  


階段を上れば、この会館の中でもっとも有名な場所に辿り着く。
ジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス風)の3階談話室は
全室中最も豪華な部屋で、映画やドラマの撮影などにもよく使われるそうな。
え? その写真は次の記事で。

西洋館―明治・大正の建築散歩

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日本の近代建築〈下 大正・昭和篇〉 (岩波新書)

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