Festina Lente2

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電脳玉手箱を片手に

自分で記事を書くことなく、ボーっと電脳玉手箱を見ている。
殆どアップしない時期が続いている。
リアルタイム記事ではない日記をこれほど遅らせたことは無かったが、
人事異動と年度末の殺伐とした毎日の気鬱を事細かに記すことは、
自分にとってそれほど益のあることではない。
そう思い定めながらも、あちらこちらの写真ブログの美しさ、
訪れた地に書き添えられた文、その感慨、
美しい景色や美術館博物館への薀蓄色々、
居ながらにして、しばし時を忘れる。


現実は仕事に明け暮れる平日。
そういえばあっという間に娘の卒業から時間が過ぎ、
1週間が経とうかと振り返ってみるが、空虚感ばかり広がり、
どこを探しても嬉しい、子育て一区切りの感慨が湧かぬ。
1週間前ナラティブセラピーの勉強会に出掛けたついで、
大急ぎで立ち寄ったシャガール展での感動も、
娘の卒業式の感慨も、日常生活の中に埋もれて、
ただただ摩滅していくかのように思われて哀しい。


ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか? (阪大リーブル)

ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか? (阪大リーブル)


気持ちを何か一つのことにゆっくりとどめておくことも出来ないまま、
生活を送る、日々を重ねる、仕事をこなす、
これが日常というもののありがたい部分でもあり、
哀しい部分でもあるのだと実感させられる。
そう、留めておきたいものほど疾く過ぎ行く。
目にしたくないものほど、いつまでも傍にある。
そのアンバランスな駆け引きに引き裂かれるような気持ち、
ありたい自分の心持とは異なる世界の自分を抱えながら、
毎日が過ぎていく。


話す言葉と使いたい言葉の齟齬、乖離を感じながら、
紡ぎだしたい言葉、折り重ねたい思いのすれ違いをもどかしく思いながら、
引き裂かれて生きていく内的な状況を、如何に抱えていくか、
抱えながら生きていくかが大人というものなのだろうか。
生活人であることなのか。社会人である証拠なのか。
私にはこの年になってもわからない。
疲労困憊する仕事の中に、自分を見出したくない自分。
現実とかけ離れていたい自分に、電脳玉手箱を与えたことが、
電脳玉手箱の中の居場所に執着させたことが、
却って足を引っ張っているのではいかと、そう思えて。


そう思いながらも、あちこち覗きまわることはやめられなくて。
仕事も体も思うようにならないのに、クリック一つで飛ぶことのできる、
あちらこちらの小部屋の中を行ったり来たりの仮想空間の旅。
ふらんすへ行きたしと思へど・・・、そこまでの遠出は願わなくとも、
ただただ、日本脱出を夢みる、
現状打破の前に、自分を異世界に置くことを夢見る、
そんな1週間が始まる。
カウントダウン。


1週間後へのカウントダウン。
仕事を片付けることに追われる、平日の残業の日々。

異郷 西江雅之の世界

異郷 西江雅之の世界

食べる

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