Festina Lente2

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京都府庁旧本館

25日の出来事もこれで最終回。
さて、私は政治絡みのことが余り好きではない。
歴史は好きだが、権力闘争や駆け引きや権謀術数が苦手。
様々な思惑が政治的配慮の名の下に、理路整然と行われるとは思えない。
しかし、現実には行政府としての体裁を整えた建物が厳然と存在するわけで。
プリンセス・トヨトミ』で一躍有名? になりかけた大阪府庁と同様、
京都にも府庁が存在するとは何となくわかっていても、
京都府庁の本館に新旧があるなんて全くわかっていなかったわけで、
3月25日、あろう事かボヤ騒ぎから今日の街中徘徊に余儀なくされて、
行き当たりばったりの当日目的地は、京都府庁旧本館。
この日の終点、である。
(写真は全てクリックすると大きくなります)


    

  

  


私が小学校時代まで使われていたという京都府庁旧本館。
松室重光、一井九平の設計で、ネオ・ルネサンス様式、
明治37年竣工、由緒正しい重要文化財
(京都の町は重要文化財だらけだから目立たないかも知れないが)
2年越しの年末ドラマ『坂の上の雲』のロケにも使われた。
たまたまこの日はイベントも行われている期間であったよう、
春の特別公開の日に当たっていた。
予定通り北斎展を見ていれば、絶対に来なかったであろう場所。
神社仏閣は好きだが、府庁と聞くと拒否反応が出るよな、
そんな政策をまともに受けてしまった府民であるので、
大阪だろうが京都だろうが、無意識のうちに固まりそう。


  

    

   


まあ、それはともかくとして、建物探検は嫌いではない。
というわけで、到着。まあ、個人的にはそれほど感動しないけれど、
中に入って、現在も使われているお役所業部の部屋があると知って、
ちょっとびっくり。レトロな場所が、そのまま現役の部屋もあった。
知事のかつての執務室、そういう所には入れるのも今回の恩恵。
今は観光地京都だが、古の都の誇りを守ると同時に
一刻も早く外国と肩を並べるべく作られた明治時代の数々の建物に漏れず、
当時の人々の意気込みや背伸びが感じられる室内。


  

    

    


ぐるりと内部を歩いていると、催し物の一環で若手アーティストの
様々な芸術作品が建物内を飾っていて、各部屋はプチ美術館、展覧会状態。
天井の高い各部屋に暖炉のある建物は、
寒い京都ならではの趣き、部屋の様式上の暖炉と言えばそうかもしれない。
でも寒い欧米の建築様式の中にあって、当時もっとも機能的な暖を取る設備が、
各部屋ごとに意匠の凝らされた暖炉であるのが面白い。


  

    

  



創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古、
ネオ・ルネサンス様式の京都府庁旧本館は、あと一ヶ月もすれば枝垂れ桜も美しい中庭、
白い壁に濃い緑が映える、美しい見栄えのする場所になるのだろう。
常時一般公開しているわけではないようだが、特別公開期間中、
どれくらいの人々が訪れているのか、私のような通りすがりの観光客は少ないに違いない。
それとも、年配の人々にとっては馴染みの場所、なのかもしれないが。
執政者の座、というものに意味もない反感や嫌悪感を植え付けられたか、
育ててしまった人間には、何となく居心地の悪い場所ではある。


    

    

  


京の町は守るに難しく攻めるにはもっと難しい。
戦火を浴びたと言っても、世界大戦での被害は少ない。
もっとも被害を被ったのは、応仁の乱その他、国内の内乱、
維新の時であり、維新後の廃仏毀釈運動が吹き荒れた時代、
江戸から明治への革命を経て、価値観が揺れに揺れた時代、
街は変貌せざるを得なかった。
異国が攻めてきて街が燃えたのではなく、常に内乱、
国内での権力争いが、多くの寺社を巻き込み、焼かれては建てられ、
その繰り返しの中で明治の終わりに建てられた京都府庁、旧本館。


    

    

  


かつては旧二条城のあったこの地、異国の建築様式で建てられたここは、
大戦で焼け落ちてしまった、他の地域の行政府の「今は昔」を語るよすがの姿を残す。
春浅き弥生の最後の日曜日、予定外の京都の1日の旅はここで終わり。
何とも一カ所でじっとするはずが、想定外の行程となった。
(はっきり言って、疲れを溜めてしまった)
楽しかったような気もするが、良かったのどうだったのか。

日本のラベル 明治 大正 昭和 上方文庫コレクション (紫紅社文庫)

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京の近代建築 (らくたび文庫 No.034)

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