Festina Lente2

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嬉しい便り

10年ほど音信不通の知人から便りがあった。
自分としては立場上、ちょっとした手助けをしただけだったのだが、
それがきっかけで念願の進路を得て学びを重ね、米国留学。
現地で就職、今は語学を生かして日本と外国を結びつける仕事に。
何と海外に雄飛して夢を叶え、キャリアを重ねていたとは。
嬉しく思うと同時に、時間のあっという間に過ぎていたことに唖然。
知り合った時に10代だった彼女は、
今や私が結婚・出産した時の年齢に近付いている。
本当にびっくり。そんなに年月が流れていたとは。


仕事の面で、毎日変わらぬ、相も変わらぬ。
責任の所在よりも、大雑把に流すように物事を右から左へ移す、
そういうことが求められている昨今の現場。
彼女と過ごした頃の情熱ははや消え失せ、
当時磨いていたこととは別の分野で職域を広げたとはいえ、
本来望んでいた熟練の域からは遠ざかっていくばかり。


老いていくとはこういうことなのか、気力体力の衰え、
記憶力どころか、モチベーションを維持するだけでもひいこら。
そんな自分が若かりし頃、ぶんぶん飛ばす勢いで仕事をして、
ひたすら前向き上昇志向だった頃に出会った彼女は、
強いて言えば「若くて元気な頃の私」のイメージを大切に抱き、
そのまま生活してきたのだろう。


ああ、今の白髪交じりの愚痴っぽくなった自分を見せられないなあ。
こんな姿を見られたくないなあ。
そうは思いつつ、近況報告が舞い込んできた背景を考えるに、
あれこれ推察するに、女性が抱えるキャリアアップと結婚、
人生の岐路、体力気力だけで済まされない様々な問題を、
その年代、その年齢、その節目節目にぶつからざるを得ない問題を、
改めて彼女の立場に立って考える。


出会った時ハイティーンだった。
あれこれ相談に乗った時、彼女は20代半ば。
そして今、節目の時。
私はその節目をキャリアを捨てて結婚出産を選択した。
積み重ねて行くことを目標とはしなかった。
不惑で出産するということは、そういうことなのだと割り切った。
管理職になりたいと切に思うことはなかった。


研究を極めるわけでもない、研究職でもない専門職。
新兵と変わらぬ生活が続く現場職。
ごった煮の中で、多くの人と会い、多くの人と別れる。
自分を見失いそうになるルーティンワークに溺れないように、
押し流されないように自分を保ち続けること、
自分から失われていく若さ、心身の鮮度と反比例して、
熟していくものがあったのか無かったのか、自分次第の専門性。


失われていくものは何なのか。
この年齢で俯瞰して振り返り、惜しんだり悼んだりすることばかりが増え、
得るものの手応えに感動することが減り、感受性も鈍り、
退化著しい自分は何者ぞと問うことばかりが増え、答が見えない。
そんな日々に、出藍の誉れの嬉しい便り。
同時に、同性として悩みを抱える一社会人として、
後輩となった彼女に、何を伝えよう。


直接会えばあれこれ伝えたいことも、
今や、一人前の社会人として成長した彼女に何をか言わん、
私がアドバイスできることなどあるだろうかと躊躇する。
そんな自分がもどかしいまま、
便りを眺めて返事を書きあぐねている。

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