Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

博物館明治村へ

(写真は全て大きくなります)

まだ歴史をきちんと学んでいない娘に、
明治村を見せるのはどうかとも思ったのだが、
坂の上の雲』をTVで見せたのをきっかけに、少し興味を持ってもらおうと、
宿の向かいに見える明治村に出向くことに


  

  


ここを訪れるのは、約30年ぶり。当時は冬か早春の人の少ない時期に、
それも小雨の中を回ったので、余り良い印象が残っていないのだが、
今日は天気もよく、連休だけあって人でも多い。
一大テーマパーク化の波の先例よろしく、様々なイベントがあるよう。
文豪ツアーの時間を確認。さっそく村内を歩き回ることに。


  

  


大井牛肉店の当時の牛鍋とはいかなる味付けだったか、知る由も無い。
普段の生活でもすき焼きとは縁遠い私たち。
昔の師範学校・小学校、官舎などを巡り歩いて往時を偲ぶ。
木造校舎、木の机、木の椅子、石炭ストーブで学んだ私にとっては、
この明治の学び舎もあながち遠い昔のものではないように感じられる。
オルガンや当時の教科書など、娘の目にはどのように映ったことか。


  

  


ヨハネス教会。宿のあるこれが対岸から見えていた建物。
重要文化財としてこの見晴らしの良い位置にある。


  

  

  

  


近衛局の建物、あの野木希典も住んだという学習院長官舎、
表は洋風、裏は和風。和洋折衷の家具と佇まい。
そして人気スポット、かの鹿鳴館を連想させる華やかな内装の西郷従道邸。
もっとも、当時のオリジナルの家具が全て残っているわけではなく、
同時代のものを配置・演出。それでも麗しく見ごたえのある内部。


  

  

  

  


一つ一つの説明に感じられる、明治という時代の西洋に追いつけ追い越せ。
如何に一生懸命に日本の文化をちりばめて見せよう、
魅せようと努力していたか。
そして今の日本は、そういう姿勢を持っているのだろうか。
その落差を感じながら、文豪ツアーの開始時刻、夏目漱石森鴎外住宅へ。


  

  


文学史の授業もこのようであれば楽しかろうという、そんな感じ。
和風の家は今でも住めそうな佇まい。
当時の出版物は、読み進むたびに切り開いていく装丁、
なるほどペーパーナイフは手紙を開けるためだけではなかったのか。
こういう復刻本をお土産に欲しいものだが、採算が合わないのだろうな。


  

  

  

  



さて、屋外に案内されて清水医院から三重県庁舎界隈を見学することに。
特に、老父の従兄が開業していた当時を髣髴とさせる古めかしい医家の佇まい、
なんとも心惹かれることよ。幼い私の鼻孔に残る薬品の匂いのする部屋、
秘密めいた器具や薬瓶、ひっそりと静まり返った診察室を思い出す。


  

  

  

  


赤ひげ医者ではないけれど、医は仁術の色彩濃き開業医の姿勢が、
そこはかとなく感じられるのは気のせいか。
進取気鋭の学問を修めながら、ステイタスと気概と節制を兼ね備えた、
文明開化の香り高い西洋医学と漢学の素養に基づく養生訓の世界が、
混沌となって風の中に見えたような、そんなひと時。


  

  

  

  


はや正午を過ぎ、見学の足を進めて庁舎内外の景色、展示物をチェック。
人力車に乗ってみたり、当時の時計や錦絵の数々。
戦争に関わる明治ならではの資料を見ながら、建築物という遺構の向こうに、
時代のきな臭さを嗅ぎ、今の人の何倍もの真剣さで駆け抜けてた先人を思う。


  

  

  

  


威信を掛けて建築された洋風の官舎、その内部に引き継がれる物々しさは、
今もなお健在という気もするが、京都の旧府庁を思い出しながら、
当時の人々の西洋に対抗する必死さがわからなくもなく、物哀しい気分に。
華やかであればあるほど、時代に付いていけずに苦しんだ人も多かったろう。
先端を走り続けた人々も、それなりに青息吐息で時代に翻弄されただろう。


  

  

  

  


洋風であること、それが時代の先端であり、正義であり、文明開化であり、
疑わずに古いものを振り捨てて、なりふり構わず西洋化した時代の、
調度品、内装の数々を見ながら浮世絵師の嘆きが聞こえてくるような、
図案、デザイン、諸々の作品群。


  

  

  

  
  

外は全く雲ひとつ無い晴れ渡った空。そろそろ足が棒になってきた。
村内バスを拾って奥まで進み、広い場所でランチタイムとしよう。

明治かがやく―開国一五〇年 (別冊太陽)

明治かがやく―開国一五〇年 (別冊太陽)