Festina Lente2

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学びへの姿勢・在り方

2日続きの研修、勉強会。学び甲斐、受講し甲斐はある。
されど、学ぶ形は人それぞれなので、時には協力しつつも、
微妙な力加減、交流の在り方、学ぶに当たっての心構え、
共通認識と思っていたはずのものの「差」に驚くこと多々。
受け容れることありのままでいることを自らに課すと、
怒りや驚きで胸が潰れそうな思いに駆られることも。
又は、人の踏み台にされているような、
共に学ぶではなくて、利用されているような感覚に陥ることも。


  


学ぶ日の一期一会は難しい。
強力なファシリテーターやきちんとした規範が無いと、
言ったもん勝ち、やったもん勝ちの独壇場、見せびらかしの場、
そういったものにもなりかねないから怖い。
感じて受け取る側の問題なのか、行動し発散する側の問題なのか、
影響を受けることがまずいのか、影響と捉えることが大袈裟なのか、
その場ではじけている人間は怖いもの無し。
ハイな自己中、開けっぴろげ、押しの一方で思い出作りに励む、
それに巻き込まれそうで、距離を取るのに苦労する。


 


そういう自分はどうなのだろうと、常に省みなければならぬ。
僻みやすく、バイヤスが掛かりやすい自分の心の軟弱さ、
空疎な影に付きまとわれて、なかなか満足できない、
何か足りない、物足りないと不満が募る毎日と一心同体。
なだめて隠してきた自分の至らなさは、下手をすると噴出する。
そうならないように訓練を受け、学んできてはいても、
下世話な情動は、安定にはほど遠いと思える昨日今日。


  


学びの中で癒されることもあれば、癒しを求めて学ぶこともある。
しかし、「おっかけ」精神、昔流行った「自分探し」体験を
何かといえば持ち出し、語りたがる人々はどんなものかな。
人と何かを分かち合う前に、自分がその場にいることで陶酔、
良くいえば没頭、悪くいえばTPOをわきまえない発散型、
自己完結型で終わってしまう人も少なくない。
それが許される場だと、何もかも爆発させるような人が。


    


同じものを共有し、経験していると錯覚。
写真を撮ったりすることも憚られる、そんな遠慮もなく、
何もかも同じ空間、同じ時間を過ごせば許されるような、
そんな幻想を抱いて、高揚する気分を分かち合おうとする人、
「一緒」「共に」「同じ」であることにこだわる人、
距離を置くことに抵抗を感じる人がいて、
私は正直疲れを感じた2日目。



昔、とある精神科医が、「治っていない証拠に付きまとう人」の
存在の危うさを口にしたことがあったが、
今日は特にそれを感じた1日。
だから、何故そう感じたのか、その源を遡って考えなくては、
そんなふうに思えた1日。

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