Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

家人と氏神様の祭り

垂水神社の祭り、春の大祭、御旅所祭の日。
家人の住む場所から最も近い由緒ある神社ゆえ、
氏子であってもおかしくないのだが、
そこはそれ、地元の人間ではない転勤族の哀しさ。
それでも、祭りを眺めるのは自由。


    

  


私も研修や勉強会がなければ、こちらのほうに参加したかった。
実際、私たちがこの地に関われるのは、1か月余りだったので、
家人がこの祭りを眺めることができて幸いだった。
何しろ平日ならば、参加も見学もできない。


    

  


都会から離れた土地で出会った私たちは、ご縁というもの、神の計らい、
人智を超えた何かがあるということを信じて疑わない。
偶然、必然、どこかで何かが結ばれるべくつながるべく存在している、
あだやおろそかにしてはならぬものが世の中にはあるのだと。


    

  


家人が病を得て、寛解となってしばらくして転勤、
霊水湧き出るこの地にやって来られたのは、ありがたいことだと思った。
その前の社宅も小さな社や祠が沢山あり、昔ながらの年越しの行事が残っていて、
夏目友人帳』の世界ではないけれど、神々のおわす場所があった。
同じように、この地もそうなのだと思って暮らせたのは幸いだった。


    

  


引っ越してきてすぐに「水がおいしい」「炊いた米がうまい」と喜んだ。
医学の進歩もありがたいが、気脈地脈水脈通じるものがある地で、
守られて暮らすことができ、神に感謝。
行ったり来たり、共に住むこともできず、仕事優先で、
親も自分も家人も通院だ入院だとざわざわしながら年老いていく、
その中で娘は小学生になり、中学生になり健やかに成長した。


    

  


生活の中で様々な波風があっても、それはそれで当たり前のこと。
自分の孤独を埋めるものをすべて他者に求めることはできない。
共に過ごす時間の短さを「量より質」と言い聞かせてきた。
そして、祭りを眺めながら家人は独り、どんな物思いに浸ったことか。


    

  


潤沢な水、豊作を願う祈り、人の世は移り変わっても自然は変わらない。
時の流れも季節の移り変わりも、人を超えて大きくうねって通り過ぎていく。
その流れの中で、きちんと掉さし行方を見据えてどう動くかは自分次第。
共に生きることが共に住むことではなく、共に居ることが共に在ることではないと、
とっくに知ってしまっている今となっては。


    

  


神がまれ人であるように、私たちもその土地に根付くことなく、
土地の恵みを頂きながら通りすがりで流れていく存在。
その特別の装いも歌も踊りも音楽も、思い出の中に消えていく。
ただただ、住まわせて貰ったことに感謝しつつ。
ただただ守りのうちにあったことを、噛みしめつつ。
何かを得れば何かを失う世の常なれば。



夜も更けて、神はいずこにおはします。
和御魂(にぎみたま)荒御魂(あらみたま)、共にあってこそ、
バランスの取れた世界、あるべき世界。
そう思いながら、祭りの写真に見入る。
家人の過ごした一日は、如何なるものであっただろうかと。

氏神事典 あなたの神さま・あなたの神社

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図説 神々との心の交流をたどる! 神道 (青春新書)

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