Festina Lente2

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さらば木馬よ

今日お別れしたのは木馬ばかりではない。
娘の小さい時のお洋服、100センチ台、110センチ台のズボンやスカート、
ワンピースやパジャマ、お洒落な冬コートなどなど。
思い切って年下の友人の娘さんにプレゼント。
3才と3ヶ月、かわいいさかり。


  

    


花ビーズやスヌーピーのキューブパズル、
カタカナのあいうえお、キティちゃんのバッグ、ポーチ、
数え上げたらきりがないけれど、絵本におもちゃ。
新品もあるけれど、殆どはお下がりのお下がりだったり、
単純にお古な訳で申し訳ない。
それでも大切に取っておいた想い出の品々。
あなたにだったら使って欲しいと思って・・・。


    

    


子どもの服はすぐに着られなくなる。
昔の着物のように肩を上げて、胴をを上げて、
ゆきや丈をを短くして、体が大きくなったら止めていた糸をを外して、
サイズの大きな着物にして着せてやる、というエコな暮らしではない。
とっかえひっかえの時代。
私はおむつから靴下まで遠慮無くお古を貰って子育てしてきた。
大変有り難かった。

 
    


経済的にも、ファッションセンスの点でも、
自分なら決して着せない、買わない、買えないものを
着せ替え人形のように着せることが出来る楽しさ。
ブランドもの等決して買わないけれど、お下がりで頂けるのは嬉しい。
現金なものではあるが、銘柄に反してこれが? と思うものもあれば、
さすがと思えるものもあり、そういう比較が出来るのも楽しい。


 


そんな昔の想い出を拾い集めながら、友人宅にお邪魔する。
木馬、と最初に書いてみたが、正確に言えば籐馬といった方が正しいか。
籐を編んで作った馬なので、木馬よりも軽く扱いやすい。
これは徳島時代、フリーマーケットだかバザーで求めたもので、
たいそうお値打ち品を安く手に入れた想い出の品だ。


   


転勤転勤で、結婚以来4つめの家に移ろうとしている。
といっても引っ越すのは家人ばかりで、私は根城から動けない。
コンパスの描く円のように、あちらこちらに行くものの、
最終的には中心から動けはしないシステムの中で生活。
これが最上最高とは思っていないが、仕事を辞めるわけにはいかない。
融通の利く自由業だったらどうとでもなったのだろうが。


   


土日は引っ越し作業に追われ、夕方ともなれば疲れも溜まってイライラ。
想い出にこだわる私と、遅々として進まぬ作業に苛立ちながらも、
捨てれるものは何でも捨てたい家人と。
食事の用意をしながら、あれこれ思い煩う私と、
考えても何の徳にもならないと、作業に専念しているかと思うと、
パソコンに向かっている家人。


  


トイレ・洗面所・納戸・和室。この4つを片付ける私に対し、
家人は食器棚二つを詰めたのみ。確かに食器の扱いは神経を使うが。
私は色んな食器を使いたくても、転勤族ゆえ封印して閉まっている箱を見つけ、
やるせない思いに駆られるのだが、よくよく考えてみれば、本当にものは要らない。
モノは余っている。余計なモノ、何が何でも必要なものは少ない。
だからといって、結婚のお祝いに貰ったモノ、旅行先で買い求めたもの、
娘が生まれた記念に頂いたもの、あっさりと捨ててしまうわけにはいかない。


    


そんなこんなで、引っ越しにまつわるあれやこれやは精神的にも堪える。
体のしんどさばかりではない、作業のきつさばかりでもない。
捨てること、選別すること、無駄を省くこと、それ以上に、
割り切って生活せねば、要らざるモノにて身動き取れぬ、
その哀しさに押し潰されそうになる。


   


引っ越しを見据えて日々簡略に生きている人は、モノに執着せぬ、
恬淡とした人柄なのか、今までの生活の為せるワザか。
海外勤務から帰国した人、しょっちゅ住処を変える人、
そういうゆとりも計画も無い自分だが、
家人と幾分生活を共にしたお陰で、そういう目にも会わざるを得ない。
これを運命というか、天の配剤とするか。
心のままに、御心のままに
我を試みに合わせず、日々の糧を与えたまえ、である。


  

木馬のぼうけん旅行 (福音館文庫 物語)

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遊園地の木馬

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