Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

本日は終業式

このブログも書き出して丸6年が近づいて来た。
あと10日もすれば、7年目突入という恐ろしい状況。
(しかし、この記事をアップしようとしている時点で、9月末)


よくよく考えてみたら、先輩諸氏の背中を追いかけて来たものの、
その先輩方をよく知りもせず、闇雲に自分も書けると思って、
ただただ駄文、日記をつらつら書いてきた。
しかし、全く一度怠けて体調不良に任せダウン、
転勤異動ならずにダウン、
娘の進路先にダウン、
色んな意味で、仕事を任されたとしても
気落ちに任せて空白を作って3ヶ月、この穴は埋めがたい。


世間では秋風が吹こうとする中、自分の頭の中は夏で埋まっている。
どこをどう風穴を開けていいものかわからないまま。
穴と言えば人生の大穴、良くも悪くも子育てという博打。
目に入れても痛くない時期が終わった娘の中1の1学期が本日終了。
世間様では終業式というけじめの日。夏休み開始日。
親にとっては六でもなく恐ろしい40日間の始まり。


この1学期は娘にとってどんな時期だったんだろう。
記憶の彼方にある自分の中1の頃を思い出してみる。
軟式テニス部に入って夏の練習にも行った。
成績は? 教科毎に色んな先生がやって来るので、
小学校よりも新鮮だったことは新鮮。
でも今は? 今はどうなんだろう?
親子共々満足? いや不本意な中学校生活と言うべきか、
新規巻き直し芳しからずと言うべきか、
しっくり来る言い方が見つからない。


おまけに心の空白というか何というか、
昔に懇談会なるものがあったかどうか定かではないのだが、
今の親は終業式の懇談日に子どもの成績表を見せられて、
学校生活についてあれこれ言われているものだから、
子どもが持って帰ってくる学校からの公文書とでも言うべき、
「通知票(通信簿)」なる紙切れに興味を払うことが出来ない。
もはや成績を知っているだけに、何を今更感が強い。
「めくら判」をつくだけの紙切れと成り下がっている通知票。


担任・学年主任・校長と三つも判子がいるものだろうか。
時間と手間暇の無駄だなと思う。これもどうせ「めくら判」か。
怖いものは「地震・雷・火事・親父」というのは昔の相場、
今は何もかも形骸化、かーちゃんのお小言もとーちゃんの怒声も、
ネットの上を素通りしていくメールの文字ほどの威力もなく。


親というつまらないもの。
中学生になったらなったで、どんどん遠ざかる子どもに
今更何が出来るでもない、雨漏りのしない家と食べ物の入っている冷蔵庫、
停電のないTVさえ用意しておけば事足りるような。
成績や友だちのことなどで盛り上がることもない。
よその家はどうなんだろうと思いつつ、
シニカルで冷ややかな終業式の1日。
こんな日も出張で疲れて帰宅。
自分の子どものことよりも、他人事に振り回されて終わるんだな。
そんな気持ちで一杯なってしまっている自分が哀しい。


何だか親としても社会人としても、
どんどん「つまらなく」なっている、自分。
年を取れば取るほど「大人になる」と信じていた頃が懐かしい。
親というつまらないもの、大人というつまらないもの、
「努力」「輝く」「前向き」という言葉にふさわしい、
そんな年の取り方は難しいと年々感じる一方。
娘にとっては良き「親の背中」を見せていないと思いつつ、
親としての優等生にもなれはしない。
手本にもなれない。手本さえわからない。

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