Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

美術館から港町へ

陶磁器や絵画には日本人ならクスッと笑ってしまう東洋趣味。
でも、航空機のない時代これらは大切に大切に、
船で運ばれたのだと思うとしみじみする。
最近空輸されたのだとしたらちょっと興ざめだけれどね。
せっかくだからアボリジニを中心に、美術作品を見よう。
話に聞いていた展示と違うなあ・・・。変わったのかしら。
知人が絶賛していたのは、別の特別展覧会のことだったのだろうかか。
でも、早々ここに来ることはないだろうから頑張って走り歩き。
せわしないことこの上ない鑑賞の仕方で申し訳ない。


    

    

    

    


過去の誤った政策の元、
絶滅してしまったのは動物ばかりではなく、
その地に昔から生きていた人も同じ。
生粋のタスマニア人はもういない。
そのことは、何処に現れているのか、
歴史的なことについては今回の滞在では全く触れられず、
皆自分たちが移民であるから、平等ということばかりを強調。
以前から合った動植物自然ひっくるめてどうなったかは、
全く意に介されず? それとも後ろめたい?


    

    

  


もっとも、そんな私が「アボリジニ」という言葉を初めて知ったのは、
何と少女漫画のスポ根もの『エースをねらえ』の中で。
グーラコングを養子にして育てたコーチの話が出てきた時。
師弟の絆が背景だったのだけれど、差別されてきた民族の子どもを
白豪主義の中で養子にして育てるということ自体が、ショッキングに思えた。
あれから半世紀近く経つけれど、今現在はどうなっているのか。


    

  


天気は青空。晴れ女の面目躍如のあっぱれなお天気。
鄙びたローカル線、電車で向かう19世紀の面影を宿す港町。
でも観光客相手のシーフードレストランで
再び不味い魚フライとポテトを食べる気にはなれない。
ちょっと駅から離れた場所で、ベトナム料理店に入る。
ああ、お箸の国の料理、というか馴染みのある味、ほっとする。


    

    

  


本当はまっすぐにこちらに来て、(交通手段に慣れていていれば)
有名な刑務所巡りや海洋博物館など、
歴史的な建造物を楽しめば良かったのかも知れないが、
まあ、年に一度の大学のオープンディ、博物館・美術館、
「世界一美しい街」と謳われるこの町並みを
堪能できただけでも「よし」とせねば。


  


大学生協の看板、この地には珍しくカソリック系、
ノートルダム・オーストラリア大学がある。
やはり、礼拝堂のある大学はいいなあ。
母校は新教系の大学だったけれど、
チャペルは憧れの場所の一つだった。


  


丸1日、観光、カフェ、埠頭でシーフードというフルコースではなく、
ティータイム過ぎからの大学の学生寮、田舎道、夕暮れのドライブ、
この国で過ごす最後の夕焼けを眺めながら、
何だかちょっと物足りないまま、荷造り。

タスマニア最後の「女王」トルカニニ

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タスマニアの光の中で―「本当の自分」を探す旅

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