Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

初訪問東大と都庁夜景

さて、弥生美術館の前には、どんと東大の校舎がそびえている。
(正確に言うと東京大学本郷校舎)
私は「賢い人」や「偉い人」が苦手なので、そういう人の集う学舎(まなびや)も、
何だか敷居が高くて出入り禁止を申し渡されている気分になる。
最近の中高生は修学旅行や社会見学で東大を訪問、
赤門前で写真を撮るそうな。そのノリで行ってみよう。
「思春期の頃からえも言われぬ威圧感に満ちている
何やら禍々しくも輝かしい学問の殿堂、その存在の内側」を
ほんのわずかミーハー感覚で掠めて帰ろうというかーちゃんだ。
折しも日は傾きはじめ、この機会を逃したらいつ来るかわからない、
そんな焦燥感を煽り立てる。
夏目漱石を思い出させる小説名を掲げた喫茶店、「こゝろ」、
赤門をまだまだ先に望む壁を伝い、門を曲がって塔を目指す。


  

  

樺美智子が亡くなったのは、私が生まれる前の話だ。
安田講堂が荒れ放題になった時、私は小学生。
とうとう私が社会人になるまで、ここが開かれることはなかった。
その安田講堂を、夏の夕べの赤みがかった青空を背景に仰ぎ見る。
娘にかーちゃんが思う所を説明するのは詮無いこと。
何処が三四郎池なのか、余りこだわるまい。


  


せっかくここまで来たのだからお土産を買って帰ろうと、生協に直行。
さすが、たくさんの観光客が訪れる大学の生協。
娘と買えない分は写真に収め、実用的なpenや仕事に使う白衣を購入。


  

  

  

  


単なる観光客だと思って歩けば、どうと言うことはない。
生協を出てすっかり暗くなった辺りを徘徊、
少しく別世界の様相を呈し始めたその外貌を写して歩く。
しかし、学士会の頂点の校内はマンホールまで帝大仕様。
建物も何とは無しに、哲学的な雰囲気を帯びてきたように感じる。
単なる実験棟の連なり、ハコモノが並んでいるとは思えぬ空気。
肝心の赤門は夕闇どころか、とっぷり暮れて真っ暗。
肝心の全貌さえわからない。
いつも抜けてるかーちゃんらしき赤門初訪問となった。


  

  

  


お腹が空いたねといいながら、ぐるりと一周して回る。
何処で夕飯を食べればいいか、ちゃんとした温かいものを。
そうだ、工学部辺りにレストランがあったはず。
思い出作りに東大で夕食を。


  

  

  

  


安田講堂前でちらりと見かけた看板を頼りに、
(食べ物に関してはがっついているかーちゃんだ)
日比谷松本楼GRILL 東京大学工学部2号館店へ。
少々冷房が効きすぎていて寒かったものの、お味はまあまあ。
背広の方々の歓談も漏れ聞こえていて、娘とクスクス忍び笑い。


  

  

  

  


ここで、勢いに乗って都庁の夜景を見て帰ることに。
一度出張のついでに大昔来たことはあるけれど、それは昼間。
夜景を見るのは初めてだ。乗り継いで新宿副都心、
歩き回って上に登るエレベーター下で荷物検査、
高層ビルの都庁から見る夜景は・・・あれが、武蔵タワーこと
スカイツリー? それはお土産、本物はあの小さな・・・。


    

  

  

  

  


外国人観光客やデートの若者に混じって、親子2人の関東ライフ、
シメは東京の夜景。そしてお土産コーナー。
いつもと同じ、買うんじゃないの、見てるだけの世界。
東京オリンピック誘致の垂れ幕を見ながら複雑な気持ち。
そんなことより、震災の復興にお金をかけて欲しい。
さて、とーちゃんの待つ社宅に戻る頃には午前様。
美術館から東大、都庁、強行軍の1日だった。


    

  

  

  


安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)