Festina Lente2

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新年会兼誕生会 

複雑な心境。大人だから出席するけれど。
誘われて、誘って貰って断る理由もなく。
去年の部署の新年会。


大勢の人間が働く、ある意味若者を育て一人前にする、
華やかな部署というものがある。
別の言葉で言えば、ベテランが一気に退職・転勤。
人手が足りなくなったから半人前だろうが、0.8人前だろうが、
励ましおだて叱責し、育て上げて促成栽培
出来ない所はとにかくフォロー。
やる気と期待されている感を盛り上げて、実力以上の仕事をさせる。
そういう方針転換をしないとやっていけない所で、
嫌なことは煙に巻き、(実際ヘビースモーカーなのだが)
何とかやりくり上手に収めていくことが出来る人がいる。


与えられた場というもので、実力を発揮してというか、
求められれば何でもガッテンOKさという、実力以前に、
気っぷの良さと鷹揚さと、細かいことに気を配りながらも
適当にえーい、行っちゃえーという思いきりの良さと、
出たとこ勝負の強さが何とも羨ましい、
こういうキャラクターは作られたものなのか、
生来持って生まれたものなのかと、そう思える人がいる。


同い年なのだが、将来に対するビジョンが明確ですっきりしている。
仕事も子育てもそうなのだが、商家で育った金銭感覚と、
整理整頓、余計なものはばっさり捨てて、
いつも身綺麗に、真っ赤な車を察そうと運転、休みの日はテニス、
一男一女を育て上げたノウハウは、若手を采配する素質に通じるのか、
鮮やかなものよなあと思える同僚がいる。


幾つ年齢を重ねても、人間は比較することを辞めない。
比較することを忘れることが出来ない。
だから、自分が同じ部署で同じ事を要求されたら出来ないなあと、
即座に諦めてしまう。自分で自分の力を限るというよりも、
この年齢になれば、限界は分かっている、そう思ってしまう。
必要以上に迫られて動いたとしても、後からそのツケがやってきて、
体を壊したり、別の仕事に穴を空けたりしそうになり四苦八苦。
経験を積んだ分、知っていることは増えたけれど、
自分の「気の持ちよう」はなかなか変わらない。
それが自分自身だったから。

うらやましい人―’03年版ベスト・エッセイ集 (文春文庫)

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指導者の器 自分を育てる、人を育てる

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そんな気っぷの良い姉御肌の彼女の部署で新年会をするという。
実は部下の若手連中が、新年会にかこつけて彼女の誕生日を企画した。
昨年までの関係もあり、呼ばれたのだが。
その場にいることの嬉しさと、その場にいることの場違いなような、
その感覚の中で、過ごすこと。


これが大人としての付き合い。立ち居振る舞いなんだなあと思いつつ、
自分に残された後、数年、何が出来るかとも思う。
人が育たない分野だという。誰もが行きたがらない、
日の当たらない分野だという。
そういう所に誰も行かないから、引き受けて欲しいと人間は、
そう言った上層部は何人、人が変わっていっただろうか。


任されているのだと、そう思って仕事をするべきなのか。
誰もが出来るわけではない、資格が必要だから。
そう言ってしまえばそうかも知れないが、この虚しさは何だろう。
やっぱり、虚しいかも知れない。
こうやって職場のDNAを残すチャンスはどんどん減っていく。
若手を育てるのではなく、ふるいに掛けられて、
そこにしか当てはまら無いからと言われたとしても、
どれだけ忙しくても、沢山の仕事を覚えさせる矢面の現場ではない、
そこにつっかえ棒のような感じで居座っている、自分。
そんなふうに感じてしまう。


人が入れ替わり立ち替わり動く場ではなく、
隙間仕事の集大成のような気さえする、
そう思ってはいけないことは重々分かっていても。
たった1年で、何もかも失っていくように感じる。
得るよりも失うことの多いような気がするのは、何故なのだろう。
そんなことを思いながら宴席に連なる夜。

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