Festina Lente2

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昔懐かしい道具たち

(写真はすべて大きくなります)
この杵原学校は土地の整備から校舎建築の木材提供まで、
地元の人々の熱意でまかなわれた学校だった。
元より教育熱盛んな土地柄、手弁当で地ならし、
村共有の里山から木を切り出して校舎建築。
そこには学校の思い出だけではなく、村の思い出、
暮らしの思い出も展示されている。
今でも活用されているだろう、調理居室。
廊下に置かれた黄ばんだ鍵盤のピアノ。


  

  

  

  


宮城の農家に生まれ育った両親を持つ私にとっては、
懐かしい思い出の民具、農具の数々。
母が羊の毛を刈って毛糸を紡いだ話。
糸車を見て娘は『たぬきの糸車』の話を思い出したよう。
小学校の教科書に載っていた物は、娘にも分かる。
『ひきうすの歌』の石の挽き臼。
蓑や笠を見て、「森の石松」を思い出す娘の反応が面白い。


  

  

  

  


社会の教科書で習ったよと「千歯こき」に見入る。
鋤や鍬は今でも家にあるけれど、わかっているかな。
君は庭があっても外に出たがらない、庭仕事のお手伝いしないからな。
娘には農機具を実際に使った思い出はもはや無い。
わらぐつも小学校の国語に載っていた話で知っている。
こうなると小学校の教科書、さすがだと思った。


  

  

  

  


私にとっては祖母と桑摘みをした背負子の籠が懐かしい。
蚕棚を見ると、あの一晩中桑の葉を食べる蚕たちの音が蘇る。
結構すごい音なんだよね、あれは。
農家の上段の部屋、広い部屋やすべてお蚕様のために使われていた、
あの夏休みの光景。春蚕・夏蚕・秋蚕と3回も頑張っていたのは、
貴重な現金収入だったから。

  

  

  

  


祖父母が働いた昔の家はとっくにない。
いや、地震で失くしたのではなく、住みにくい不便な農家は
建て替えられてしまっている。
母はそれ以来、思い出が無いとこぼしていたが、
かまどの台所、推薦ではないトイレは跡継ぎの叔父叔母にとって、
どれほど大変だったことだろうか。


  

  

  


休憩をしてバスの中で面白くてためになるお坊さんの説教DVDを見て、
(さすが高齢者の多いバスツアーのDVDだと思った)
あっという間に帰阪。プロのバスの運転手さん、凄かった。
家族旅行ではこんなに早くドライブは無理。
ミステリーバスツアーの一泊二日。楽しかった。