Festina Lente2

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見送り

初めての経験。退職する人を見送る。
そういう儀式を公に聞くこともなく、この年まで来た。
玄関で花束を贈るらしいよ、そんな噂を聞いたこともあった。
今年は放送が掛かって一室に集められた。
退職する人を見送る。
いきなり何かひと言と求められても困る。
送る側も送られる側も。


こういう場があることを、若い頃聞いたこともなく、
こういう場があることを、誰も口にすることもなく、
世間のドラマの中でちらりと見たことがあっても、
それは、年度終わりではなく、途中のある1日。
定年退職の日に職場を追われて、日長一日濡れ落ち葉になったりする話。


見送り見送られる。そんな日がいつかやって来る。
そう、遠い日ではない時に。
でも、身近に共に仕事をした人々ではなく、
いきなり放送で呼び出されて、ああ、そうだったのかと
しばしの感慨。お付き合いの程度の差こそあれ、
自分の身に置き換えて身に染みる歳になって、
このような行事が行われていたことに、
ささやかすぎる、職場で過ごしてきた年月に対して
余りにもささやかすぎるこの一瞬。


職場の殆どの人間は、休みを取って出てこない、
この年度末の最終日。
若い人々は年度末休暇の消化に忙しい。
かつての私がそうだったように。


果たして片付けられるのかどうか、分からない。
この部署、この仕事、この1人仕事部署の、悲惨な様子。
引き継ぐのは資格を持たぬ何も知らぬ、名前だけ任された人間。
「後は好きに捨ててもいいんですね」と訊いてくる。
ここは「保存する場所」だということが分かっていない。


何人もに分けて引き継ぎをしなければならない。
それだけ押しつけられ来たことを、有り難いと思うべきなのか。
人が出来ない知らないことを経験できたと。
そのお陰で犠牲になった物も大きいのだが。
資格も経験もない、抜擢でも何でもない、
穴埋めでふさがれていく部署を、私にはどうすることも出来ない。


創り上げ、積み上げてきたものたちに、さようならをするだけ。
幾つもの仕事に分かれ、人と重なる部分は時間を掛けて
ある程度まで分かち合えるものの、
自分だけに任されている部分は、下の者は責任を持たない。
任され仕事で穴埋めに来る人間は、もとより。
「あるべき姿」ではなく、適当な姿に置き換えて言ってしまう。
それを、去っていく人間はどうすることも出来ない。


何もかも、ひとまずさようなら。
ひとまずならず、永遠にと言ってしまえれば
どんなに割り切れるかも知れない。
そんなことも思ったりする。

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