Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

旧千代田生命ビル見学 屋上と外観

(写真は全て大きくなります)
教会の内部を思わせるようなエントランスから優美な曲線を持つ階段、
そして、屋内の三つの茶室と離れとなる本格的な茶室。
まだまだ続く目黒区総合庁舎、もとい千代田生命ビル本社の探検は続く。
屋内から屋外へ、屋上から外観を見ることに。


    

    

    

  


屋上に上ってみると、小さなミニ庭園、憩いの庭のような者が出来来ていた。
もっとも、当時はこういうものは無く、区役所になってかららしい。
最近はエコの関係か屋上にグリーン施設を備えるのが流行ではあるし。
東京の街の景色、あちらこちらのビルと比較しながら案内者曰く、
「○○は美しくない、こちらの方が・・・」と熱を入れて語るのが面白い。
元々立てる予定の無かった隣の建物まで、建築の美学上必要と建ててしまった、
その強引な設計を許した企業も物凄いと思うばかり。


    

    

    

  


チマチマとした世界で、人の顔や書類ばかり眺めている者にとっては、
建築家がどのような外観をどのような地形に据えて、その内部を象り、
外部と調和させて創り上げていったのか、創造するだに不思議な世界で、
平面を行ったり来たりしている人間に立体の三次元は計り知れない、
ただ、この高みから見下ろす景色は楽しいものだと感じるだけで終わってしまう。


    

    

    

  


駐車場に窪みが見える地点、あれが先ほどまで見学していた茶室の坪庭。
あんな風に自然光を取り入れて、平面上のアクセントにしているとは。
見下ろす景色の中に見え隠れする遊び心と計算された洗練さは、
どこから生み出されてきたのだろう、何を理想としたのだろう。


    

    

    

  


部屋のように見えて実は機械室、窓、壁、床、タイル、階段、細部までこだわる。
色、形、素材、手触り、それは、それらは雄弁に何かを訴えようとしている、
自己主張の在り方の一つ。されど、建築家の言葉を解するにはなかなか難しい私たち。
ただただ眺めるだけで、その奥深い所までは近寄れないのを実感しつつ、
解説者の弁に耳を傾け、お天気の良さに感謝しつつ、そこここと見て回る。
やれやれ、誰の感性だろうか、この庭に狸なんぞ置いたのは。


    

    

  


下へ降りて、「付け足し」「デザインの必要上」作られた脇のビルディングへ移動。
壁面に垂れ幕を飾る仕掛けが為されているのを、
「無粋なものを取り付けられて、せっかくのデザインが」と嘆く解説者。
それもそのはず、ビルは垂直に壁をそそり立たせているのではなく、
まるで木の根が幹にのビルが如く曲線になって、地に足を付けていた。
周囲の木に溶け込むが如く。


    

    

    

    

  


冷暖房完備だった守衛室は、当時さぞかし白く輝く優美なゴンドラの如く鎮座ましまし、
瀟洒なデザインの屋根が付いた表玄関へと来客者を導いたに違いない。
ヘンリー・ムーアの彫刻が置かれていたはずだそうだが、どこへやられたのか。
その像を見るために据えられた石のベンチだけが淋しく取り残されている。


    

    

    

    

  


再びぐるりと最初の地点へ近付き、駐車場側から見る敷地のへりには、
白ならぬ石垣が組まれ、それはそれで和の美を演出している。
和と洋、直線になるのを避けるように曲線美を取り込んだのか、
柔らかさを演出する様々な素材とデザインが、仕事のためのビルディングを、
何かしら優しい場所、心和む居場所をあちらこちらに抱える建物にしている。


    

    

    

  


連休前半、もっとも心に残った近代建築ツアー。親子3人、専門家でもないけれど、
興味津々、初めての土地、初めての建物、初めて知る建築家の横顔、
村野藤吾を垣間見た旧天皇誕生日の午後、夕方の新幹線で帰る私たち。
その記録をやっとアップすることが出来た。
5月は思いの外盛り沢山な記事が一杯。予定も一杯。忙しい。
その忙しさに紛れて転勤の悩ましさを吹き飛ばしたい、そんな日々。

空への輪郭―屋根・塔屋・キャノピー (村野藤吾のデザイン・エッセンス)

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建築をつくる者の心 (なにわ塾叢書)

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